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2012/06/29【医学者による“お迎え”体験調査は画期的なことです】

6月21日の新聞記事に、自宅で看取られた患者の約4割が、亡くなる前、すでにいない親の姿を見たと語るなど、いわゆる「お迎え」体験を持ち、それが穏やかな看取りにつながっているとの調査研究を、医師らのグループがまとめたとありました(※)。

このグループのメンバーの一人である東北大学医学部の岡部健教授は、同記事で、「『お迎え』体験を語り合える家族は、穏やかなみとりが出来る。たとえ幻覚や妄想であっても、本人と家族が死を受け入れる一つの現象として評価するべきだ」としています。

医学者によるこうした調査研究は、前例がなく、画期的なことです。

この調査研究では、「お迎え」を、単なる幻覚や妄想と断定している訳ではありませんが、世間一般では、幻覚や妄想として片づける風潮もあるのではないでしょうか。

一般に、幻覚や妄想といったものは、その内容が個人個人で多岐にわたるはずです。

しかし、「お迎え」で見たり感じたりしたのは、すでに亡くなった人物や、仏様や光というように、多くの人が同じような体験を語っています。

従って、私としては、「お迎え」とは、決して妄想や幻覚ではなく、先にあの世に帰った霊が迎えに来てくれているのであり、霊的な真実の一つの証左ではないかと考えます。

ここで、一つ考えなければならないことがあります。

それは、脳死臓器移植の問題です。

こうした霊的なものを全く考慮することなく、人間が定めた「脳死」という段階で臓器を取り出せば、あの世への旅立ちが妨げられてしまいます。

脳死の決断はたいへん重いものであり、他人を助けたいとの思いには尊いものがありますが、霊的真実を知らないということは悲しいことです。

宗教法人幸福の科学の大川隆法総裁は、2009年の法話で、「最低限、あの世があり、人間の本質は霊的存在であるという仏教的な悟りを受け入れ、自己犠牲の観点から『私の寿命は尽きたので、移植される人を生かしたい』という場合だ。

相手も感謝して受け入れれば、その人の病気がよくなることはある」と、脳死臓器移植が許される条件を説いています。

改正臓器移植法の施行により、家族の同意のみで脳死臓器移植への道が開かれましたが、家族も医療者も、脳死者の霊的真相を謙虚に受け止め、宗教的理解を深めることが大切です。

死を目前とした患者や家族へのケアの視点からも、霊的真実に立脚した医療の構築が求められているのではないでしょうか。

そして、脳死者も、移植を待っている患者も、双方を救う医療技術の確立を目指す必要があります。

※:6月21日付読売新聞http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120628-OYT1T01135.htm