広域強盗事件の指示役とみられるグループが海外から日本に移送され逮捕されたのは記憶に新しいところです。
捜査関係者の不断の努力が逮捕に結びついたのだと思いますし、今後は全容の解明に繋げて頂きたいと思います。
一方で、オレオレ詐欺など、末端の実行犯が逮捕されても主犯格が逮捕に至らない事件がまだまだ後を絶ちません。
被害者とその関係者の無念を思うといたたまれない気持ちになります。
実際、日本では、殺人など重犯罪の検挙率は9割以上とされますが、窃盗など軽犯罪を含めると、全体の検挙率は5割以下とされます。
こうした検挙されなかった犯人たちは、「逃げ得」になるのでしょうか。
様々な事情で不本意にも犯罪に手を染め良心の呵責に苦しむ者もいるかもしれませんが、犯罪で手に入れた富で栄華を満喫している者がいるとすれば、やはり納得がいかないというのが
人情ではないでしょうか。
ここで、「善因善果、悪因悪果」ということを宗教的視点から考えてみたいと思います。
世界中で古くから「天国と地獄」があるとされてきました。
特に、仏教では「地獄の様相」が明確に説かれ、「地獄絵図」などを通して、善因善果、悪因悪果の教えが民衆に浸透してきました。
人は、死後、裁きに遭い生前の行いが公正に判定されて、善い行いが悪い行いを上回った者は天国へ、そうでない者は地獄へ行くことになります。
そして地獄では反省の時を過ごすことになります。
つまり、死後の行く先まで見れば、因果の理法は完結することになっているのです。
これを不昧因果といい、原因と結果の因果はくらませないという意味です。
これはたいへん理に適った考え方ではないでしょうか。
この天国と地獄が判定される仕組みは誰一人として逃れることはでず、厳正な「因果の理法」はこの世とあの世を貫いて完成するのです。
ですから、この世で逃げ得をしたとしても、あの世では全ての罪を償うことになるのです。
また、犯罪を行ったとしても、生きているうちに罪を償えば、死後の裁きの場で、その分は斟酌されるとも言われています。
この世で犯罪に手を染めないのはもちろん、生きているうちに罪を償うことは、とても大切なことであることが分かります。
このように、天国や地獄といった存在は、単に道徳的な意味で迷信やおとぎ話として語られたものではありません。
現代でも厳然として存在し、この世も天国や地獄に通じているのです。
だからこそ、「この世の生き方で死後の行き先が決まる」という真実を忘れてはならないのです。
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