「米百俵」という故事があります。
戊辰戦争で幕府側についた越後長岡藩は、戦後、石高が減らされるなどして困窮していました。
見かねた隣藩が米百俵を送ったところ、長岡藩はその米を消費せずに換金し、学校建設など教育資金に充てたという物語です。
その後、長岡からは、数多くの優秀な人材が輩出され、地元だけでなく日本のために多大な貢献をしたということです。
ここで今の日本の政治に視点を変えてみると、米百俵のように「将来への投資」という視点があまり見られません。
選挙制民主主義の欠点の一つかもしれませんが、どうしても目に見えて成果が上がる政策、有権者がすぐに恩恵を感じられる政策に偏りがちです。
典型的なのが、いわゆる「バラマキ政策」と呼ばれるものです。
それは、米百俵を譲り受けて、すぐに配ってしまうようなものです。
「いや、政治は教育にだって力を入れている」といっても、今の目玉は無償化です。
経済的な理由で学業を断念せざるを得ない人に、教育資金を援助することは大変意味がありますが、経済的な差を無視して一律に教育を受けられるようにすることが喫緊の課題なのでしょうか。
本当に必要なのは、経済的な差を無視して一律に教育を受けられることでなく、教育の質の向上です。
教育の質を高めることなく、いくら教育を無償化しても、米百俵の精神からは程遠いように感じられます。
そして、この米百俵の戯曲を英訳して世界に伝えたのが、24日に亡くなられたドナルド・キーン博士でした。
キーン博士は米国生まれですが、こうした日本人の精神性や文化に惚れ込んで、日本に帰化した人物です。
現代の政治家も米百俵の精神に立ち返ってみるべきと考えます。
キーン博士のご冥福を心からお祈り致します。