競泳の有力選手である池江瑠花子さんが白血病であることを公表し、世間に驚きの声が広がっています。
心配する声と共に支援の輪も広がっています。
詳しい診断結果が出るにはもう少し時間が必要とのことですが、18歳という若さ、しかもトップアスリートとして将来を嘱望されていただけに、ご本人の心境を察するに余りあるものがあります。
しかし、池江さんが自身のSNSで、「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています」と気丈に心境を綴る姿にはたいへん心を打たれました。
そこで、この「神様は乗り越えられない試練は与えない」という言葉を少し考えてみたいと思います。
神仏の御存在を前提とするこの言葉は、頑張って試練を乗り越えられるという希望の言葉そのものです。
試練が大きければ大きいほど心は萎えそうになりますが、大きな試練であるほどその人は強く大きな力を秘めた存在であると神様が認めておられる証とも考えられます。
また、何故に人生の試練が訪れるかということを考えると、答えとして魂の存在という霊的な真実に行き当たります。
波風無く人生を過ごしたのであれば、今世の魂の成長は小さなもので終わってしまうかもしれません。
しかし、大きな試練に出会い、それを乗り越えることができれば、魂の経験は増え、智慧が磨かれ、生かされている自分に気づき、神仏への感謝や、他者への慈しみの心が湧いてきます。
それを愛の行動に移したならば、天使の如き心境に近づいていくことができます。
これがまさに魂が飛躍したといえる瞬間です。
そして、その魂が来世、来来世へと延々と引き継がれて、一歩ずつ神仏に近づいていくことにこそ魂の大いなる喜びと深い意味があるのです。
試練の渦中にある人は数多くおられますが、「神様は乗り越えられない試練は与えない」という言葉を拠り所の1つとすれば、大きな力が湧いてきます。
池江さんの一日も早いご回復を心から祈念したいと思います。