LGBTと呼ばれる性的マイノリティの人について、国会議員の主張が物議を醸しています。
極論として、LGBTがどんどん増えるようなことあれば、医学・生物学の進展を無くして人類の存続は無いのかもしれません。
しかし、そうした考えは行き過ぎであるとして、現にLGBTと言われる人がいる訳ですから、性の多様性は認められるべきだと考えます。
最近では、LGBTに対する理解が進み、LGBTとして前向きに生きている人が増えている一方で、「何で自分だけが」と悩む人も多いと聞きます。
しかし、どんな性差で生まれようと、その人生には意味があります。
ただ、自分なりに納得できるその意味を、唯物的な社会の中で見つけ出すことは容易なことではありません。
やはり、宗教的な解釈や霊的な価値観を抜きにしては、性差が生じる理由を知ることはできないのではないでしょうか。
しかも、伝統的な宗教の教義だけでは、現代的な問題に対する有効な処方箋を出し難いという事情もあります。
必要なのは、次々に噴出する新たな問題に対処できる教えです。
正しい宗教には社会がどのように扱っていいのか定まらない問題に対しても、見識と論理性を持って方向を示す力があるのです。