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2018/05/19【魂の存在を認めない唯脳論のほうが不自然】

 米国の大学の研究チームが、カタツムリの記憶を別のカタツムリに移植する実験に成功したとのことです。

 カタツムリと人間とでは、単純に比較できませんが、将来、人の記憶を他人に移植する研究に繋がる可能性があります。

 例えば、他人の記憶を移植することで、自分で努力しなくても容易に知識を獲得できるようになるかもしれません。
 

 一方で、こうした研究は、気を付けなければ、唯脳論を助長しかねません。

 人間の活動は脳が全てであるという考えのもとでは、脳を移植することで生きながらえるなどという発想も起こり得ます。

 既に中国では脳の移植の研究が進んでいるとの報道もありました。
 

 

 確かに、脳は、記憶など情報を出し入れする機能があることは事実ですから、脳の機能が失われれば、肉体生命の維持だけでなく、自らの意思を表現することができなくなります。
 

 しかし、人間の活動は脳が全てという訳ではありません。

 これは、宗教的には当然の考え方なのですが、医学的にも脳が停止した状態で記憶が残っているという例が多数報告されており、現代医学の主流となっている考え方ではその理由を説明できていないのです(※)。
 

 
 しかも、脳以外の臓器を移植した場合でも、記憶が転移するという例が数多く報告されています。

 これも、現代医学では説明できていませんが、宗教的な真実に照らし合わせれば、憑依と言う現象で説明できるものです。
 

 
 つまり、人間には肉体の他に魂や霊といった部分が存在し、脳を含む肉体が滅びても魂は存在し続けるということです。

 この考え方は、唯脳論よりもむしろ自然な考え方ではないでしょうか。
 

 魂や霊の存在を認めれば、人間はもっと自由になります。

 こうした考え方のもとにすれば科学も一段と拡がっていくのではないでしょうか。

 ※:千田要一著『現代医学の不都合な真実』発行:パレード