日本共産党は、即位の礼に関し、天皇の証とされる剣や曲玉を受け継ぐ儀式などを国事行為にすべきではないと政府に申し入れました。
共産党の示す「国事行為にすべきでない理由」は、「憲法の国民主権の原則と両立しないから」とのことです。
日本共産党が、なぜ憲法の国民主権の原則と両立しないと考えているのかは分かりません。
なぜならば、憲法1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とあるので、心情的に天皇制に反対している日本共産党は、天皇を日本国民の総意に基づいていないと考えているのかもしれません。
しかし、日本共産党は、最近の国政選挙で野党共闘を行うにあたって、現行の天皇制は広く国民に受け入れらえているとして容認する姿勢に転じたはずです。
実際、日本共産党は、毎回国会の開会式で天皇陛下がお言葉を述べることも、国民主権の原則に反するとして開会式を欠席していましたが、最近では容認に転じ数十年ぶりに出席していました。
しかし、ここに来て一転して、即位の礼に注文を付けるということは、日本共産党の反天皇制という姿勢が変わっていないということを示しています。
そして、同党によるここ最近の「天皇制を容認するかのような姿勢」は、単に選挙のための手段にすぎなかったように感じられます。
天皇が天皇として特別な存在である所以は、元をたどれば日本建国以来の天照大神直系の子孫ということに他なりません。
これが受け入れられないというのであれば、日本共産党は中国共産党と同じく、共産党が全ての宗教的なものの上に位置すると考えているということになるのではないでしょうか。