この夏、先の大戦を語り継ぐイベントが各地で開催されました。
戦争を実際に体験した人は年々減っており、こうしたイベントは貴重な機会とも言えます。
イベントに参加した人たちは一様に戦争の悲惨さを感じ取り、戦争は絶対に起こしてはならないという想いを強くします。
中には、あらゆる戦争的なものを否定する考えに至る人もいます。
一方で、多くの外国では、国のために武器を取って戦うことは大切だと教えられており、そうした国の国民も当然のことと考えているようです。
中には、軍部が強い力を持っている国があり、建国あるいは国を守った存在として軍部が崇められている場合もあります。
そうした国では、軍事力の行使に至るハードルが低いように思われます。
「言うことを聞かない悪い国には鉄槌を下せ」とばかりに、他国の領土をもともと自国の領土であるかのごとく主張するなどして、軍事力の行使に踏み切ることが往々にしてあります。
ここで日本を取り巻く状況を見るとどうでしょうか。
日本では、とにかく戦争だけは回避すべきとの世論が小さくありません。
対して中国は、核心的利益と称して、尖閣諸島など武力を行使してでも国益を守るとの意思を明確にしています。
更に日本では、先の安倍談話でも上塗りされましたが、自分の国は悪い国であったとい自虐史観が根強くあります。
自虐史観が蔓延ると、こんなに悪い国ならば滅びても仕方ないと潜在的に考えるようになるのではないでしょうか。
こうした状況を踏まえると、将来、日本は侵略あるいは他国に隷属させられることが十分考えられます。
それでも、戦争するよりはましとの考えがあるかもしれませんが、侵略・隷属下での平和は本当の平和ではないということを知らねばなりません。
よって、大切なことは、いざという時は国を守るという気概と、自虐史観を払拭することなのだと考えます。
【参考】:大川真輝著『大川隆法の“大東亜戦争”論 [上巻]』HSU出版会