5月15日は沖縄が日本に復帰した日です。
戦後、米国の統治下におかれた沖縄は、43年前にようやく日本に復帰しました。
また、先の大戦で沖縄は、日本国内で唯一大規模な地上戦が行われ、軍民合わせて多くの犠牲者を出しながら、連合国側に掌握されました。
こうしたことなどから、沖縄は日本に見捨てられたと言われることがあります。
しかし、日本は沖縄を見捨てたわけでないことは数々の事実から明らかです。
沖縄の守備隊然り、沖縄に上陸する米艦隊に突入した神風特攻隊然り、水上特攻を試みた戦艦大和の艦隊然りです。
この他にも数多くの日本人が沖縄を守るために命を捧げました。
その中に義烈空挺隊というものがありました。
空挺部隊は通常、航空機から兵員らがパラシュートなどで降下する部隊を言いますが、義烈隊は、爆撃機に武装した兵員を乗せ敵飛行場に強行着陸して敵を攻撃するというものです。
5月24日にこの作戦は決行され、12機の爆撃機が参加し、各機に十数名が搭乗していました。
出撃の途中に不具合で引き返した機を除いて、米軍の記録ではその中の1機が沖縄本島中部の読谷飛行場への強行着陸に成功し、米軍の複数の戦闘機や輸送機などを破壊しました。
しかし、搭乗機が撃墜されるなどして全員が戦死されています。
私たちは、沖縄で戦った全ての人を忘れてはなりません。
結果的に、沖縄は連合国側の手中に落ちましたが、沖縄戦は、その後の連合国の日本本土上陸作戦を躊躇させる要因となり、日本を救ったとも言えます。
最近では、沖縄を日本から分断する左翼勢力や第三国の活動などが指摘されていますが、日本は、多方面から連合国軍が迫り戦力に余裕がない中で、沖縄防衛のために死力を尽くしたということを忘れないで頂きたいと思います。
【参考】:大川隆法著『沖縄戦の司令官・牛島満中将の霊言』幸福の科学出版http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1462