NHKは、遺体を医学部の解剖実習などのために提供する「献体」を希望する人が増加していることを番組で取り上げていました(※)。
増加の背景には、医学の発展への貢献や、墓不足の中で献体した後の納骨堂が確保されている場合がある点、日本人の生死観の変化などがあげられるということです。
医学の発展に貢献したいという思いは殊勝ですし、死後の供養で遺族に迷惑を掛けたくないという気持ちも分からないでもありません。
しかし、気になる点があります。
こうした献体希望者の増加の背景として、唯物論の浸透ということもあるのではないでしょうか。
唯物論では、「死んだら何もかも終わりであり、遺体は敬意を表する対象ではあるものの単なる“モノ”に過ぎない」ということになります。
ですから、唯物論のもとでは遺体を提供することを比較的容易に承諾できるのではないでしょうか。
一方で霊的人生観のもとでは、脳死についても同様ですが、正しい霊的な知識が無い状態で自身の体が切り刻まれることになれば、いわゆるあの世への旅立ちを妨げることに繋がります。
NHKは以前、特集番組で臨死体験を取り上げていました。番組の内容は、最新の脳科学の知見をもとに、臨死体験は脳の作用として説明できるというものでした。
その番組では、結局、「死後の世界があるのか、ないのか」ということに結論を出しませんでしたが、「死後の世界はない」ということを強く示唆するものでした。
しかし、臨死体験は脳の作用だけでは説明できない事例が数多く報告されています。
むしろ、死後の世界があるという前提に立った方が、あらゆることを合理的に説明できるのです。
「死後の世界があるのか、ないのか」といことの答えは、二つに一つです。
「死後の世界はある」という前提に立てば、人生観が変わり、この世で生きた全てが無駄ではないことが分かり、本当の意味で死が怖くなくなります。
「死後の世界はある」という霊的人生観を得た上で、献体の可否を判断されるほうが賢明ではないでしょうか。
※:http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3649.html