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2015/03/16【大戦で沖縄に殉じた「大和」こそ、日本が沖縄を救いに向かったという証拠】

 太平洋戦争末期の昭和19年にフィリピン沖で撃沈された旧日本海軍の戦艦「武蔵」が、71年ぶりに海底で見つかり話題となっています。「武蔵」とされる船体を見つけたのは、米マイクロソフト社の共同創業者のポール・アレン氏が率いる調査チームです。
 

 「武蔵」は世界最大の大和型戦艦の2番艦であり、「大和」と並んで連合艦隊の旗艦を務めたこともある旧日本海軍を象徴する艦艇です。
 

 「武蔵」はレイテ沖海戦で主に米海軍機の攻撃を受けて撃沈されましたが、「大和」も昭和20年に沖縄に上陸した米軍を迎え撃つために出撃し九州南方沖で同じく米海軍機の攻撃を受けて撃沈されました。

 
 最近でも、戦後70年にあたり、唯一日本国内で大規模な地上戦が行われ民間人にも甚大な被害がでた沖縄戦で、日本は沖縄を見捨てたとする声を聞くことがあります。
確かに、沖縄戦で筆舌に尽くしがたい体験をされた人の心中は察するに余りあるものがありますが、一方で、「大和」の出撃は日本が沖縄を見捨てていなかった証左とも言えるものです。

 「大和」は、燃料が枯渇し制空権及び制海権を失う中で、泊地に留まることもできたのですが、沖縄の窮地を救うために最後は浅瀬に乗り上げて浮沈の砲台と化す覚悟で片道分の燃料で出撃したのです。

 その「大和」には、歯磨き粉と歯ブラシが50万人分、女性用の美顔クリームが25万人分、女性用の生理用品15万人分が支援物資として積まれていたのです(※)。これでも、沖縄の人達を見捨てていたと言えるでしょうか。

 「大和」は結果的に沖縄に到達する前に撃沈され、沖縄水上特攻とも言われる天一号作戦では、3千人以上もの将兵の命が失われてしまいましたが、どうか、航空機による特攻などを含め沖縄を助けようと戦った多くの日本の若者たちがいたということを忘れないで頂きたいと思います。

※:『ザ・リバティ3月号』沖縄を見捨てたのか? – 日本軍は世界一人道的だった – 「永遠の0」も描かなかった真実 Part4