戦後70年の今年、様々な団体が先の大戦を振り返る試みを行っています。
中でも目立つのは、数少なくなってきている戦争体験者の体験談を収集して、後世に伝える試みです。
そうした試みは、実勢に戦火を交えた体験とともに、銃後での苦しみも収集するものが多く、戦争の悲惨さを物語っています。
しかし、旧日本軍に関する記録は、その残虐性や将兵の悲惨さをことさら強調するものが多いように感じられます。
確かに、戦闘という極限状態の中で、また、連合国軍の圧倒的物量の前に苦戦を強いられている状況では、如何なることが起こったとしても不思議ではありません。
しかし、そうした状況下でも、軍律を守り、日本人としての尊厳を保って戦った将兵は数多く実在したのです。
また、戦前戦中の日本は、悪の権化だったような言い方をされることがありますが、本当に、戦前戦中の日本に、一粒の大義も無かったのでしょうか。
日本には、経済封鎖から国民を守る必要がありましたし、欧米列強の植民地支配からアジア諸国を解放するという大義があったのです。
先の大戦を記録し振り返るのであれば、その残虐性や悲惨さのみを切り取るようなやり方は問題です。
こうしたやり方は、自虐史観を増幅させるだけではなく、外国の日本に対する憎悪を煽り、日本への攻撃の正当化に利用されかねません。
戦争の悲惨さや愚かさを伝える試みが、あにはからんや、戦争を招き寄せることに繋がるかもしれないのです。
戦争を振り返るのであれば、多様な視点で振り返る必要性があると考えます。