最高裁判所は、裁判員裁判で死刑が言い渡された2件の判決について、死刑を選択するには過去の裁判例を踏まえて判断しなければならないとする決定を出しました(※1)。
これら2件の裁判では、いずれも被害者が1人の事件で、裁判員制度が始まる以前であれば、計画性の有無などから死刑に至らないと見られていました。
もともと、裁判員制度は、裁判に一般国民の感覚を反映させるためなどとして始まった訳ですが、今回の最高裁判所の判断によると、判決は一般国民の感覚ではなく、結局、過去の判例を踏まえて判決を下すべきということになります。
確かに、過去の裁判では国民感情からかけ離れたように感じる判決もありましたが、韓国のように世論によって判決が左右されるようになれば、裁判そのものの信頼性が揺らいでしまいます。
裁判官は法律の専門家としてのプロフェッショナルですので、本来であれば国民に負担を強いるのではなく、裁判官が責任を持って判決を下すべきです。
それができないのであれば、百歩譲って米国の陪審制のように、量刑の判断までは踏み込まず、有罪か無罪かの判断のみを行うように改めることも考えるべきではないでしょうか。
6日も東京高裁が、2年前のストーカー殺人事件について、一審の判決に本来は別の事件として起訴すべき内容を含んでいる疑いがあるとして、判決を破棄して審理を差し戻す判決を言い渡しています。
幸福の科学の大川隆法総裁は、2009年に裁判員制度が始まった時点で既に、裁判員制度はトラブルが続発して見直しが始まる旨を指摘していました(※2)が、その指摘が現実のものとなってきています。
裁判員制度はすぐにでも見直しをすべき時にきていると考えます。
※1:2月4日付NHKニュースhttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20150204/k10015214831000.html
※2:大川隆法著『政治の理想について』幸福の科学出版https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=112