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2014/11/03【死を考える上で霊的知識は不可欠】

 末期がんで余命半年と宣告された米国の女性が、自ら死を選ぶと宣言し、約半年後に、医師から処方されていた薬物を服用して死亡し、その是非について議論を呼んでいます(※)。
 

 がんによる肉体的、精神的な苦痛は筆舌に尽くしがたい場合があり、そうした苦しみから逃れ人間としての尊厳を保ちたい気持ちは理解することができる一方で、今回のケースは、安楽死ではなく自殺に当たるのではないかとの指摘があり、賛否が分かれています。

 こうした生死に関する問題を考える上で、やはり宗教観や霊的知識といったものを踏まえることが必要ではないでしょうか。
「人間の本質は霊であり、この世の人生は魂修行の場である」という見地に立てば、生や死といったことに対して考え方が変わってきます。
反対に、「人間は、偶然この世に生まれ、波間に揺れる木の葉のような人生を送り、死んで何もかも無くなる」といった生死観では、ともすれば享楽的に生きる人が現れたり、あるいは、死ねば苦しみから逃れられるといった考え方に陥りかねません。

 また、信仰により不治の病から回復したという奇跡は古来より数多く報告されており、それは科学が進歩した現代でも同じです。
また、信仰により心の平安を得たことにより免疫機能が活性化し、がんが消失したといった事例も医学的に報告されています。
人間には、どのような場合でも大いなる可能性は残されているということの証明です。

 苦しみの中で過度に延命治療を施すことには議論の余地があり、個人の選択は尊重すべきだと思いますが、霊的知識を学んだ上で自殺や安楽死の問題を考えてみることが大切ではないでしょうか。

※:11月3日付NHKニュースhttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20141103/t10015904961000.html