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2014/01/17【宗教の正邪を分かつもの】

オウム真理教の元幹部、平田信被告に対する裁判が始まり、オウム真理教による一連の裁判では、初めて裁判員裁判となることもあって注目を集めています。

オウムにより、宗教全体、とりわけ新宗教のイメージが損なわれ、それは今現在も続いているのではないでしょうか。

幸福実現党も、支持母体が宗教法人の「幸福の科学」と言うこともあって、少なからず不利な戦いを強いられている面がることは認めざるを得ません。

しかし、宗教には善あるものと悪なるものがあることを断言します。

しかも、その善悪を判断するにあたっては、明確な基準があります。

それは、その宗教の教義が世の中に広まったら、世界はどうなるかという観点で見ることです。

教組の主張を通すためには殺人をいとわないオウムは明らかに間違っており、幸福の科学はその対極に位置するものです。

幸福の科学は、宗教学者たちがオウムを持ち上げていた1991年当時からオウムの危険性を訴えてきました。

マスコミでは現在も正当に報道されていませんが、オウムに警察が強制捜査に入るきっかけは、幸福の科学が仮谷さん拉致事件をオウムの犯行と見抜いて全国でデモやビラ配りを展開したことなのです。

この件に関しては、警察からも感謝状も授与されているのです。

幸福の科学の活動がなければ、オウムによる被害はさらに拡大していた可能性が高かったと言えます。

正しい宗教は人々を苦しみから救うものです。

幸福の科学では、世界で続いている宗教対立にも終止符を打つ思想が説かれています。

正しい宗教は人類全体の平和と発展にも寄与するものなのです。