東日本大震災ではたいへん多くの方が亡くなられましたが、震災から7カ月経った現在では、被災した各地で合同慰霊祭が行われています。
その慰霊祭の報道を見ていて、たいへんな違和感を覚えたことがあります。
特に自治体が主催する慰霊祭で顕著なのですが、それは「無宗教」の慰霊祭ということです。
その中で、ともて疑問を持ったことがあります。
それは、はたして、宗教的な知識が無くして、「霊」つまり「死んだ人の魂」を「慰める」という概念自体が成立するのかということです。
それとも、唯物論的に解釈するならば、そもそも慰霊祭は残された人のためだけに行うものなのでしょうか。
こうした唯物論的な解釈を推し進めると、究極的には亡くなった家族の遺体をゴミ箱に捨てるような感覚の人間が増えてしまうのではないでしょうか。
自治台の担当者は、無宗教である理由を「政教分離」の原則があるからといいますが、これは誤解であると思うのです。
政府の法令解釈を司る内閣法制局は「憲法の政教分離の原則とは、国などが宗教に介入し、また関与することを排除する趣旨である」といった国会答弁を何度も行っています。
自治体の墓苑に身元不明の遺骨が送られてきた際に地元の仏教会が読経を申し込んでも自治体が断ったり、遺骨の安置所が無いのでお寺が本堂を仮安置所として提供した際に自治体職員が線香をあげることを拒んだり、慰霊祭に訪れた僧侶を会場に入れなかったり、といった行為は明らかにやりすぎではないでしょうか。
幸福実現党は幸福の科学を支持母体としていますが、一宗一派に偏るつもりはありません。
しかし、現状の無宗教の慰霊祭では、突然の震災で不本意にも亡くなってしまった犠牲者の魂を軽んじているのではないでしょうか。
千葉県旭市など一部の自治体では、仏教、神道、キリスト教などの諸宗派が合同で慰霊祭を行っています。
正しい宗教的知識をもった宗教は、正しい人生観を教えてくれます。
「人間は霊的存在であり、霊体が肉体に宿って人生を送っている」という基本的な真理は外せません。