8月
23

2021/08/23【犯罪抑止に名を借りた監視社会の強化に疑問】

 先般、東京都内の私鉄で乗客が無差別に切りつけられるという事件がありました。

 関係の無い人を不幸にすることで、自らの不幸の憂さを晴らす犯人の行為は、到底許されることではありません。
 

 この事件について、あるコメンテーターがテレビ番組で、「事件を無くすためには、電車内を含め監視カメラの数を増やすべきだ」という旨の発言をしていました。

 危険物の持ち込みを完全に抑止できない以上は、「常に誰かに監視されている」と思わせることで、犯罪を未然に防ぐしかないということだと思います。
 

 一見、もっともな意見に聞こえますが、本当に監視カメラを増やすことがいいことなのでしょうか。

 そもそも、自暴自棄になった犯人が監視の目を気にして犯行を思い止まることは考えにくいですし、私たち国民の行動を誰かが常に監視していることに息苦しさを感じてしまうのも事実です。

 中国には、監視カメラとAIを組み合わせた「天網」と言われる大規模な国民監視システムがあります。

 既に数億台の監視カメラが設置され、当局は顔面認証により瞬時に目的の人物の行動を特定できるとされます。

 
 このシステムの詳細は国民には明らかにされておらず、中国共産党政府にとって都合の良い「監視社会」ができ上っているのです。
 

 技術革新を通じた犯罪抑止策の全てを否定するものではありませんが、こうした行き過ぎた監視社会に対して警戒しなければ、私たちの自由やプライバシーが脅かされてしまいかねません。
 

 
 「人が見ていない状況でも悪いことをしない」というのは日本人の美徳であり、その奥には「神仏の目を意識して生きる」という宗教心があります。

 宗教的なメンタリティを保つことが、犯罪を防ぎ、健全な社会を保つために、いかに重要であるかということが分かるのではないでしょうか。