競泳の池江璃花子選手が、東京オリンピックの代表に内定しました。
白血病と診断され、代表復帰は難しいと思われていた中での快挙に、多くの人々の祝福を受けています。
病気との戦いに加えて、厳しい練習に耐えた池江選手の「努力は必ず報われる」とのレース後の言葉が印象に残りました。
ところで、昨今は、「努力」という言葉に対して、二つの捉え方があるようです。
まず、「努力の大切さ」という言葉が示すように、肯定的な捉え方です。
一方、努力することを美徳と捉えないこともあるようです。
「努力」は「自助努力」を想起させることから、左翼的な思考では必ずしも美徳と思われていないのです。
先日も、「自助努力」を口にした政治家が、「政治の役割は自助ではなく公助である」と批判されていました。
しかし、筋論からすれば自助あっての公助のはずです。
確かに、努力をしたくても努力できない人がいることは事実ですし、そうした人には公的な手を差し伸べることは必要です。
だからといって、努力することなく、最初から国の支援を期待する人ばかりが増えたら、助ける側の人がいなくなり、この国はいったいどうなるのでしょうか。
やはり、自助努力は今も昔も大切な美徳です。
今回の池江選手の快挙は、そうした考え方を再認識させてくれたように思いました。