仏教など複数の宗教関係者が、青森県にある核燃料再処理工場の操業差し止めを求める裁判を起こしました。
原発に対して漠然とした不安を感じる周辺住民が少なくない中で、宗教者としてそうした不安に寄り添うことは理解できる面があります。
ただ、もう少し深い視点で見ると、拙速に脱原発を進めることが、必ずしも人々の幸福に繋がるわけではないことが分かります。
日本は、再生エネルギーの割合を急速に増やしたとしても、エネルギーの大半を海外に依存している状況を抜本的に変えることはできないのが現実です。
ですから、不測の事態を考慮すれば、日本はまだまだ原発を捨てるわけにはいかないというのが、国民に対する責任を負った見解といえるのではないでしょうか。
仮に、中国のような覇権的な唯物論国家が、エネルギー供給を人質にして、日本への影響力を強める事態になれば、本来は政治などの世俗の問題から人々の心を救うはずの宗教が、政治の統制下でしか活動できない事態にもなりかねないのです。
実際に中国では、信教の自由が保障されておらず、あらゆる宗教が中国共産党の考えに反する活動を行えません。
今の日本で、再処理工場は核燃料サイクルの柱となる施設です。
是非とも、再処理工場の操業を前提に、宗教者の立場から、将来を見越して国民の不安を解消するような取り組みをして頂けたらと願う次第です。