ある寺院が説法をアンドロイドが行う取り組みを始めたとのことです(※)。
お寺は檀家の減少などで衰退が危惧されているので、こうした新たな取り組みで話題を作ろうということなのかもしれません。
ただ、この記事には「アンドロイドの不死性を強調」や「仏教は神への信仰ではなく仏陀の道を追求するもの」といった言葉が躍っていることからも分かるように、「仏教は宗教ではなく哲学的思想なのだ」といった考え方が根底にあるように思われます。
このままでは、アンドロイドやAIといった技術が一般化すればするほど、供養などの「魂の救済」の重要性が軽んじられ、寺院そのものの存在意義が失われ、寺離れが進んでいくのではないでしょうか。
仏教がなぜ2千5百年以上も信仰されているのか、それは仏陀が霊的人生観を通じて人間完成の道を説いたからです。
魂は永遠であり、人間は生き通しの生命を宿して、人生の目的と使命を持って転生輪廻を繰り返しながら、智慧を高めて仏に近づいていくという真理が仏陀釈尊の教えです。
しかし、仏教の「無我」を無霊魂だと誤った解釈をしたり、仏陀が説いた教えの中で霊的なものは全て比喩にすぎないと取り除いたりして、仏教思想にこの世限りの人生観を持ち込んだところで、本当の意味で人々の魂を救うことができないことは明白です。
人間の本質は霊であるという原則に立ち返れば、どんなにAIが進化しても「魂の救済」はできません。
科学時術は宗教の代わりはできません。
「人間には信仰の本能がある」と言われています。
人類史を紐解いてみても、あの世や霊魂の存在を信じることは、時代や国を超えて連綿と続く真理です。
※:10月14日付CNNニュースhttps://www.cnn.co.jp/tech/35142333.html