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2019/09/16【“真実を伝えるよりも責任を問われないことの方が大事”なのか】

 先ごろ就任したばかりの地方創生担当相が、一部住民が反対している長崎県のダム建設について、「誰かが犠牲にならなければならない」との認識を示したとして問題となっています。

 しかし、地方創生担当相の実際の発言は、「みんなが困らないように生活するためには、誰かが犠牲、協力して、人のために役に立とうという精神で世の中は成り立っている」でしたから、報道は発言の一部を切り取ってセンセーショナルに伝えている感じがします。

 政治は、全ての当事者が一切譲歩することなく満足のいく形で問題を解決できることが理想ではありますが、そうした例は多くありません。

 過去にダム建設などで住み慣れた土地を離れざるを得なかった人は、いくら補償を受けたとしても、自分たちが犠牲となったという感覚があったと推測できます。

 地方創生担当相がどのような資質を持った方なのか詳しくは分かりませんが、そう考えれば言っていることには一定の真実性があります。

 ですから、今回の報道も揚げ足取りに見えてしまいます。

 こうした報道が続けば、「真実を伝えるよりも責任を問われないことの方が大事」という認識が政治家の間で当たり前になってしまいます。
 

 これは、何よりも有権者にとって不幸なことではないでしょうか。