先の参院選で重度の障害を持つ国会議員2人が誕生したことを受けて、障害者支援制度の在り方についての議論が活発になっています。
参議院議員には年間2千万円以上の歳費が支払われますが、現行の制度では、高額の収入があれば公的な介護サービスを利用できなくなる場合があるからです。
今回の国会議員に限らず、障害や難病を患ってしまった方は、精神的にも物質的も大変な苦労を強いられますし、その苦労はご家族にまで及びます。
ですから、経済的な負担を少しでも減らすことは政府の役割として理解できる面はあります。
一方で、難病患者や障害者を救うべき哀れな存在として一律にレッテルを貼ることに違和感を覚える難病患者ご本人やその家族の方がいらっしゃることも事実です。
家族に難病患者を持つある経営者の方は、「自分は経済的に余裕があるので、介護サービスを受けるにあたって自己負担が多くても当たり前だ」と話されていました。
国の財政赤字の問題もありますし、「自分の家族の面倒は自分でみる」とのお考えがあるからです。
大切なのは、自分らしく生きるにはどうあるべきかという観点で制度設計をすべきではないでしょうか。
たとえ高額な収入があったとしても、世の中に貢献するような生き方ができれば、公費負担があっても批判は出ないはずです。
また、難病患者や障害者であっても、助けられる側から助ける側に転換できたり、他の人に勇気を与えるような生き方ができたりしたならば、その人やそのご家族にとって魂の大いなる学びや飛躍の機会となります。
全ての人が人生の目的と使命を持って生まれてきます。
今回の議論には、人生を魂の観点から考える「霊的人生観」が不可欠です。