8月2日、3日は新潟県長岡市で、全国的に有名な長岡花火が開催されています。
3尺玉をはじめ両日で2万発もの花火が打ち上げられ、日本全国から百万人以上もの観客が訪れます。
最近では中越地震などの震災復興のイメージが強い長岡花火ですが、もともとは太平洋戦争末期の長岡空襲による犠牲者を偲んで戦後に行われるようになった花火大会です。
1945年8月1日の長岡空襲では、100機以上の米軍爆撃機「B-29」が来襲し、1千トン近い爆弾が投下され、長岡市が確認しているだけで1488名もの方々が犠牲になりました。
当時の長岡市は、軍事物資を生産していた工場などがありましたが、投下された爆弾の多くが、焼夷弾であったことからも分かる通り、米軍は市民の無差別殺傷も目的としていました。
実際に米軍は、他の地域の爆撃では事前にビラをまくなどして、その地域が爆撃対象であることを知らせて、一般市民の退避を促すこともありましたが、長岡市では事前の警告もなく爆撃が行われ、多くの市民が犠牲になりました。
長岡花火は、空襲で亡くなられた方々への慰霊、復興に尽力した先人への感謝、恒久平和への願いを込めて行われるようになったのです。
そして、今では米国をはじめ世界から観客が訪れるまでになり、当時の憎悪にも似たわだかまりも解消されるに至ったと言えるのではないでしょうか。
一方、日本の周辺には、戦前戦中の日本との関係から、未だに憎しみや嫉妬の感情から抜け出せていないように見える国もあります。
中には、「千年経っても加害者と被害者の関係は変わらない」として自国民に憎悪を焚きつける指導者もいましたし、未だに日本に対し「盗人たけだけしい」と言葉を荒げる指導者もいます。
背景には、全ての責任を他に転嫁することで自国民の支持を得たいというポピュリズムが見え隠れします。
しかし、現在の日米関係や日台の国民の感情などを見れば、こうした国々が反日感情を超えて日本と友好な関係を築いていく手だてはあると思います。
そのキーワードは「愛は憎しみを超えて」という宗教的精神であると考えます。