日本政府は、国際会議などの場で「自由・民主主義・法の支配」という言葉を用い、価値観を共有する国々との連携を訴えています。
「自由」には「基本的人権」の意味が含まれると思いますし、「法の支配」は「法治主義」と読み替えてもいいと思いますが、大体、この3つの概念を使うことが多いようです。
野党も、これらの価値観を尊重すること自体に異論はないようです。
日本政府が、これらの価値観を強調するのには、人権を尊重しなかったり、国際法を無視したりする中国を牽制する狙いがあることは確かです。
しかし、中国を牽制するのであれば、「法の支配」の部分は不十分ではないでしょうか。
なぜならば、中国も一応は法治主義の体を成しているからです。
例えば、ウイグルやチベットでの過酷な弾圧も、中国共産党としては法治に基づいて行っているとの立場です。
独裁者や専制国家では、自らに都合のいい法律を作って裁けるので、「法の支配」も万能ではないのです。
よって、「法の支配」に代えて「信仰」の価値観を加えるべきではないでしょうか。
人間に基本的人権が認められる理由は、一人ひとりの人間が尊いからですが、人間が尊いもともとの理由は、人間が神によって創られたという極めて宗教的な考えがあるからです。
中国共産党政府が、多くの国民を弾圧できる理由の一つに、人間は死ねば何もかも終わりという唯物的な考え方が根底にあるからと考えられます。
ですから、「信仰」の概念は極めて重要不可欠なのです。
そこで、先ほどの3つの概念のうち、「民主主義」をより端的に「民主」とし、「自由・民主・信仰」こそ人々を幸福にするめの価値観とすべきと考えます。
その上で、「自由・民主・信仰」を尊重しない国に対しては、遠回しに牽制などするのではなく、正々堂々と異を唱えるべきではないでしょうか。
「自由・民主・信仰」の必要性を訴えているのは、日本では幸福実現党だけです。