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2019/06/24【“奴隷の平和”を求めてはならない】

23日は沖縄における終戦記念日とも言える「慰霊の日」でした。

沖縄戦では、日本全国からの出身者を含めれば、当時の県民人口の4人に1人にあたる20万人以上もの尊い命が失われました。

その犠牲の上に今日の日本があることを改めて認識し感謝する日でもあります。

沖縄ではこの日を迎えるにあたり、戦争の悲惨さや平和の尊さを伝える機運が高まります。

「二度と戦争を起こしてほしくない」、「いつまでも平和が続いてほしい」という思いは、誰もが持つ共通の願いです。
 

ただ、そうした願いを実現するにあたり、基地や在日米軍、自衛隊などに対して、「地域からあらゆる軍事的なものを無くせば、戦争が避けられ平和を保てる」という考え方には注意が必要ではないでしょうか。
 

なぜならば、日本国憲法には「平和を愛す諸国民」という文言がありますが、日本の周辺には残念ながら平和を愛す諸国民とは言えないような国があるからです。

そうした国に対しては、十分な防衛力を持っていることで、相手が攻撃をできないように「抑止」することは、国や国民を守る上で現実に必要な備えです。
 

さもなければ、ウイグル人やチベット人、北朝鮮国民などのように、「侵略者や独裁者の言うことを聞いている限り、すぐに命を奪われるということはない」ということで、奴隷のような生活に甘んじなければならなくなる恐れがあります。

これはまさに「奴隷の平和」です。
 

ですから、戦争の悲惨さや平和の尊さを理解すると同時に、いざとなれば国を守るという強い意志を忘れてはならないのではないでしょうか。

その強い意志こそが、争いを遠ざけ平和を保つことに繋がると考えます。