Archive for the ‘教育・思想’ Category

2017/02/21【この国のあるべき姿】

 衆参両院の正副議長は、天皇陛下の生前退位に関して、与野党の会派から意見を聴取しました。

 その中で、共産党は「日本国憲法の根本精神でもある『個人の尊厳』という考え方に照らせば、どんなに高齢になっても仕事を続けるよう求める在り方は改革が必要で、退位を認めるべきだ」とし、皇室典範を改正して生前退位を恒久化すべきとの考えを示しました(※)。

 生前退位を恒久制度化することに肯定的な考え方の本質がここに現れているように思えます。

 一見、「天皇陛下個人の尊厳を守る必要がある」と言っているようであり、もっともな考え方に聞こえますが、結局は、「天皇も一般の国民も皆平等」と言っているに等しいのではないでしょうか。

 これは、天皇という存在を貶めているようなものです。
「戦後、天皇は人間宣言を行ったので、天皇であっても一般の国民と変わらない」という考えがあるかもしれませんが、象徴としての天皇の存在は、首相や大臣、ましてや社長や役員のような「一ポスト」のような存在ではないということを確認すべきではないでしょか。

 天皇の地位が、いつでも退位できるようになれば、それだけ地位の重みが薄れ、時を経る毎に国民からの尊崇の念も薄れていってしまうのは確実です。
そうなれば、いくら制度を変えようと、現在、2千年以上も続くとされる皇室の伝承も危ぶまれます。

 ご高齢の今上陛下を気遣う国民の気持ちは理解できますが、生前退位に関しては、今一度、慎重な議論を望みたいと思います。

※:2月20日付NHKニュースhttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20170220/k10010883001000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_007
【参考】:大川隆法著『天照大神の神示 この国のあるべき姿 聞き手 大川咲也加』幸福の科学出版http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1810

2017/02/08【学問の自由を脅かす天下り】

 衆議院予算委員会で文科省の天下り問題についての集中審議が行われました。
この中で参考人として招致された前事務次官は、文科省の組織的な関与を認めました。

 文科省に限らず官僚の天下りは、予てから問題となっており、事実上、定年前に退職を迫られる慣例などが、天下りの背景にあると指摘されています。
 

 しかし、文科省の天下りは、利害関係のある大学等の教育機関に再就職することで、「学問の自由」を脅かす恐れがあるという点で更に悪質です。
文科省からのOBは、補助金の獲得など再就職先で影響力を行使することで、例え私立学校であっても、文科省の強い影響下に置くことができます。

 最近も、文科省は、大学入試改革の一環として、各大学に対し入学者の受け入れ方針や卒業方針の策定を義務付け、政府主導による画一的な学生の入学や卒業に繋がるものとして問題になりました。

 このように「学問の自由」とは裏腹に、教育の場で政府の介入を強める傾向が強く出ているのではないでしょうか。
今こそ、教育の場にも、規制緩和などを通して、自由の中から発展を目指す新たな発想が必要と考えます。

2016/12/30【慰霊の意味とは】

 安倍首相は、ハワイを訪れて真珠湾で慰霊を行いましたが、先の大戦で散った数多くの御霊が祀られている靖国神社には、近年、参拝していません。
 

 なぜ真珠湾で慰霊ができて自国の靖国神社には参拝しないのか、安倍首相は批判にさらされています。
 

 こうした批判を和らげるためか、閣内から稲田防衛相が靖国神社を参拝しました。
本来であれば安倍首相自身が参拝すべきですが、稲田氏の参拝には一定の評価ができます。

 しかし、参拝後の稲田氏の記者会見で、少し気になることがありました。
記者会見の内容が全て明らかになっている訳ではないと思いますが、報道されている限りでは、稲田氏は、今回の参拝を「祖国のために命をささげた方々に対し、感謝と敬意と追悼の意を表す」ためとしています。

 首相の真珠湾訪問では、各種マスコミも「慰霊」という言葉を使いましたが、「慰霊」とは文字通り「霊を慰めること」であり、この世を去った霊や魂といった存在が前提です。

 一方、稲田氏が言及した「感謝」「敬意」「追悼」といった言葉は、それぞれが慰霊に繋がる行為ではあるものの、霊や魂といった存在が前提ではなくとも成立する行為です。
稲田氏は、過去に「英霊」という言葉を使っているので、「慰霊」という認識もあるのかもしれませんが、今回は唯物的にも取れる表現なので少し気になりました。

 世の中では「慰霊」という言葉に代えて「追悼」という言葉を充てることも散見されますが、追悼とは、生前を偲ぶことであり、唯物的な枠内に留めることも可能な表現です。
一方、慰霊とは、極めて宗教的な行為であることがわかります。

 こうしたことからも、実は政治と宗教は切っても切れない間柄であることが分かると思います。

2016/12/07【医療現場にも霊的人生観を】

 病院を訪問する機会があり、高齢のお年寄りが数多く入院する病棟で、何人かの方とお話しをしました。
重い病気の渦中にあって、前向きに生きる患者さんやそのご家族に胸を打たれることもありましたし、深刻な病状に沈鬱な気持ちを隠せず悲嘆にくれる方もいらっしゃいました。

 この時、強く感じたのは、やはり霊的人生観の大切さです。
霊的人生観とは、「人間の本質は、神仏によって創られた霊的存在であり、魂である。この世に生まれ、さまざまな経験を通じてつかんだ学びを持って、あの世に還る――その繰り返しのなかで、人間は魂の向上を目指している」という真の人生観のことです。

 こうした人生観を持つことで、救われる患者さんやそのご家族は多いはずです。
しかし、こうした人生観を基づいてケアが行われている医療機関や福祉施設はほとんどないと聞きます。
なぜなら、霊的人生観に関しては、あくまでも個人の信仰の問題であると考えられているからのようです。

 一方で、唯物的な論理で構成されている現代医学の中にあって、信仰を持つことが医学的に良好な治療結果をもたらすことも分かってきています。
幸福実現党は、霊的人生観に基づき、生命倫理に関する啓発活動に取り組み続けています。
特定の宗教を強要することはありませんが、幸福実現党の政策を実行することで、医療や福祉の現場でも変革がもたらされると信じるものです。

2016/11/17【いじめは、「いじめている側が悪い」という認識】

 原発事故で自主避難している横浜市の中学生が、転校先の学校でいじめをうけ、問題となっています(※)。
この問題では、横浜市教育委員会が適切な対応を取らなかったのではないかとの指摘がある一方で、原発事故の影響の根深さも浮き彫りにして各方面で反響を呼んでいます。

 原発事故の自主避難については様々な意見があることは事実ですが、とにかくはっきりとさせなければならないことは、どのような理由があろうと「いじめは悪い」ということです。

 もっとはっきり言うとすれば「いじめは犯罪」という認識が必要です。
「いじめられている側にも問題がある」という認識では、いじめは解決できません。

 いじめは、「いじめている側が悪い」のです。
 

 最近、学校の現場の中では、いじめを無くすために命の大切さを学ぶ機会を設けていると聞きます。
そうした機会は全く無駄ではないと思いますが、「相手の命を奪う可能性があるからいじめはいけない」というだけではなく、いじめそのものが悪であるということを学ばなければ、いじめは無くなりません。

 もし、命の大切さを学ぶのであれば、「魂と肉体」あるいは「創造主としての神」の存在など宗教的な観点から学ばなければ、命の大切さを本当に理解することはできません。
そもそも道徳上の価値基準は宗教的善悪に求めらることは世界の常識です。

 今後、小中学校で道徳を教科に格上げすることは評価できますが、日本における宗教性を全く排除した今の道徳教育では、いじめ撲滅の根本解決にはなりえません。

※:11月16日付NHKニュースhttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20161116/k10010770951000.html?utm_int=news_contents_news-main_001

20160830【教育を投資として見ると】

 文部科学省は、来年度以降の10年間で、公立の小中学校の教職員数を約3万人増やす計画とのことです(※)。
 

 教員や児童の数の自然減を踏まえれば、計画を実施しても単純に教職員数が3万人増える訳ではないようですが、文科省は児童一人当たりの教職員数の増加を目指しています。
 

 確かに、児童一人当たりの教職員数を増やせば、一人ひとりに教員の目が行き届きやすくなり、よりきめ細かな指導が可能になるかもしれません。
 

 しかし、教職員数の増加と言う投資を行って、本当に成果が上がるのか厳しく見極める必要があります。
この点、財務省は昨年、公立の小中学校の教職員数は今後9年間で、逆に約4万人削減できるという提言を行っています。

 財務相としては、財政の健全化に向けて少しでも歳出を抑えたいという思惑があるのでしょうが、教育に対するニーズの多様化を踏まえれば、公教育に頼るだけではなく、もっと民間を活用することも必要ではないでしょうか。

 公教育には、多額の税金が費やされていますが、成果を明確に測る基準があまりありません。
ですから、例えば、全国学力テストの結果を公表することも、教育の成果を図る上で必要であると考えます。

 合わせて、教育制度自体の自由化を進めることで、子供たちの個性や才能をもっと伸ばすことができるのではないでしょうか。
※:8月29日NHKニュースhttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20160829/k10010657331000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_011

2016/08/22【人の生死について専門家はやっぱり宗教です】

 読売新聞に「臓器は丸ごと作れるのか」と題して、iPS細胞に関する記事がありました(※)。
記事によると、臓器を作れる可能性はあるものの、実際の医療への適用となると実現はまだまだ先のようです。

 ただ、iPS細胞に限らず臓器を作り出すことができれば、「脳死」の問題も解決に繋がります。
現在、治癒の見込みがない病気のいくつかは、移植でしか助からない場合があります。
その場合、生体間の移植という手段を取ることもありますが、多くは脳死と判定されたドナーから必要な臓器が提供されることになります。

 その脳死の判定を巡っては、様々な議論があります。
脳死は、心臓が動いていても脳の機能に回復の見込みが無くいずれ心臓も停止してしまう状態のことで、医学的に詳細な判定基準があります。

 しかし、脳死と判断された患者が回復した事例も報告されていますし、脳死と判定された人が出産した事例も報告されていることからも分かる通り、脳死の状態の人間を「死体」とするには不合理なケースがありそうです。

 移植医療を待つ患者やそのご家族の気持ちも理解できますし、患者を救いたいという医療関係者の思いも理解できます。
ですが、人間の生死を、唯物論に基づいて、人間が決めてしまうことには無理があるのではないでしょうか。

 移植後の臓器は、患者の免疫作用を抑える治療が必要ですが、それでも原因不明の拒絶反応が生じる場合も多いようです。
こうした場合、人間は肉体と魂(霊)からできているという宗教的な見地から考えなければ説明がつきません。
やはり、人の生死に関しては、宗教が専門と言えます。

 よって、医療の分野において、宗教的な見地から人間の生死を議論しないのであれば、脳死の定義の必要のない、再生医療による移植技術の確立が急がれます。

 海外では、iPS細胞だけではなく、STAP細胞の可能性を示す研究成果が報告されています。
日本ではタブー視される傾向のSTAP細胞ですが、医療の未来を切り開くためにも、先入観を持たずにSTAP細胞の研究を進めてほしいと考えます。

※:8月19日付読売新聞https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20160815-OYTET50070/

2016/08/15【本格的宗教政党への先入観を乗り越えて】

 8月15日は終戦記念の日です。
この日は、戦没者の追悼や平和を祈念する日であると同時に、お盆の時期と重なることもあって慰霊の日でもあります。
 

 「慰霊」とは、死者の魂を慰めることであり、魂の存在を前提とする極めて宗教的な意味合いがあります。
魂など存在しないので慰霊とは単に生きている自分自身の心の整理をしているに過ぎないと考える人もいるかもしれませんが、墓前でお祈りする際は、やはり魂や霊と言った存在を前提に手を合わせる人のほうが多いはずです。

 幸福実現党は霊的な人生観を持つ宗教政党であるが故に、先入観をもってみられることがありますが、「慰霊」や「祈り」と言うことを考えた場合、本格的な宗教政党である幸福実現党は、異質な存在ではないことが分かります。

 こうした機会を通じて、幸福実現党に対する理解が進むことを願いたいと思います。

 同時に、終戦記念の日に、大東亜戦争で亡くなられた全ての御霊に対し哀悼の意を表し、国のために散った英霊に哀悼の誠を捧げることはその国の指導者にとって極めて当然の務めです。
安倍首相は、中韓に誤った配慮を示すことなく、独立国家の指導者として靖国神社を参拝すべきと考えます。

2016/07/27【凄惨な殺傷事件を無くすには】

 神奈川県内の障害者施設で、男が侵入して入所者を刃物で刺すなどして、19人が死亡し、26人がけがをするという凄惨な事件が起きました。
 

 警察署に出頭し逮捕された男は、「意思の疎通ができない人たちを刃物で刺した」などと供述しており、知的障害などを持つ人に対する強い殺意を持っていることが伺えます。
また、その男は、事件のあった施設の元職員で、入所者の人権を否定するような言動から、施設を辞めたとの報道もあります。

 知的障害者など意思の疎通ができない人であっても同じ人間であり人権は尊重されなければならないし、知的障害者という弱い立場の人を一方的に害する行為は許されるものではないとの声が聞かれます。

 全くその通りだと思いますが、障害を持った人に対しては、もっと深い理解が必要だと考えます。
その深い理解とは、霊的な視点を踏まえるということです。
人間は、肉体と魂(霊)から成っており、知的障害者は、固有の人生修行の為に、肉体である脳の働きに障害があるものの、本来の魂そのものに障害はないという事実です。

 例えば、「人間は、唯物的な存在であり知的障害者はあくまでも意思疎通ができない存在」として接するというのと、反対に「肉体には障害があるものの魂は健全であり魂の部分では全ての状況を理解できている存在」として接するのでは、障害者ご本人の反応も、周囲でサポートする人間の対応も変わってくると聞きます。

 今回の事件の真相解明はこれからですが、こうした霊的な人生観が浸透していれば、防げた可能性があるのではないかと、残念でなりません。

 人権は尊重されなければならないという考え方の源泉には、「人間は神の子である」と言う宗教的な真理があります。
特定の宗教に限定する必要はないと考えますが、霊的な人生観に立った道徳教育が急務な時代となっていると確信するものです。

2016/07/17【政教分離について】

 トルコでクーデターの動きがありましたが、その企ては失敗に終わった模様です。
事件の全容は分かっていませんが、強権的なエルドアン政権に対する反発があるようです。

イスラム教徒が多いトルコですが、西側世界入りを目指すトルコは、政治へのイスラム教の影響を無くすため、世俗主義を掲げて政教分離を進めてきました。

その世俗主義を、エルドアン政権がないがしろにするような動きを強めてきたことに対する反発が、クーデターの背景にあるとの指摘があります。

確かに、宗教の影響が国の発展を阻害するのであれば問題ですが、宗教的精神がその国の政治家や国民を感化して国の発展や調和に繋がるのであれば、宗教的要素は排除すべきものではないと考えます。

幸福の科学の大川隆法総裁は、著者『正義の法』で、先の大戦でキリスト教国同士が熾烈な戦いを繰り広げたことに対し、「『政治の延長としての外交』『外交の延長としての戦争』があるとして、戦争においても、キリスト教精神を生かさなければいけなかったら、あれほど目茶苦茶な殺し合いはできなかったかもしれません」と指摘しています。

日本では、憲法における政教分離の解釈で誤解もありますが、政治と宗教を分離することでかえって弊害が生まれることがあるということを知っておくべきではないでしょうか。

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