Archive for the ‘教育・思想’ Category

2018/09/17【『南洲翁遺訓』に学ぶ心構え】

 西郷隆盛の言葉をまとめた『南洲翁遺訓』には次のような一節があります。

 「人を相手とせず天を相手とせよ。天を相手として己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ね可し」。

 これは、天意を汲んで生きるということであり、相手を非難せずに自分の足らざる部分を反省せよという意味です。
 

 また、別の一説には、「廟堂に立ちて大政を為すは天道を行ふものなれば、些なくとも私を挟みては済まぬものなり。」とあります。

 これは、政治は天の代理で行うものであるという意味が含まれています。
 

 大河ドラマでの西郷隆盛像は別として、実際の西郷隆盛は、「天」という人間を超越した畏れ敬うべき存在を認識した信仰心の厚い人物であったことが伺われます。
 

 西郷隆盛のこれらの遺訓は、現代の政治家にとっても心に留めるべき大切な心構えではないでしょうか。

 ここから伺える政治家像は、批判されたり不祥事に際しても、責任を他に求めず、まず自身の努力や徳の足らざるを受け止め反省すること。

 また、バラマキなど、大衆迎合的な政策に陥り、そのツケを将来に回すようなことが無いこと。

 

 よって、『南洲翁遺訓』は、為政者にとって、己を空しくして、天の代理として政を行っているという姿勢を忘れてはならないと教えていると思います。

【参考】:HSエディターズ・グループ 編『偉人たちの告白』幸福の科学出版https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=426

2018/09/03【人はなぜ生まれて死ぬのか】

 ラジオで、夏休み中の子供からの質問に各界の一流の専門家が答えるという番組がありました。

 
 その中で、「人はなぜ生まれて死ぬのか」という子供からの質問に対して、科学の専門家の先生が回答していました。
 

 その先生の回答は、生物を構成している細胞は分裂する回数が決まっているからいつかは死んでしまうということ、本人が死んでも生命は子供たちに受け継がれていくなどということでした。

 

 その先生も、たいへん苦労をされて答えていらした様子でした。

 しかし、あくまでも科学的な立場としての回答であり、「人はなぜ生まれて死ぬのか」という問いの答えとして、腑に落ちたという人はそう多くは無いのではないでしょうか。

 近年で言うところの科学的な立場とは、言い方を変えれば唯物的な立場です。

 しかし、唯物論の解釈では人生が空しく感じられてしまいます。

 また、現代の哲学が論じている人生観も唯物的解釈の域を超えません。
 

 やはり、「人はなぜ生まれて死ぬのか」という問いに対する答えは、宗教的な理解が必要です。

 霊やあの世の存在を認めることなくして、人生の深い意味を解き切ることはできません。

 霊的な真実を認めることで、人は生老病死の苦しみから逃れることができるのだと考えます。

2018/08/30【言論の自由に先立ってあるもの】

 宗教団体が「信教の自由」を盾にして不当に利権を得ていると批判するマスコミがあり大変驚きました。

 その背景には、一部では憲法で認められた信教の自由を悪用しているような団体もあるのかもしれません。

 そうした団体があるとすれば自らを戒める必要があります。
 

 しかし、宗教には公益性があり神聖なものとの考えがあり、その考えに基づき俗界の権力から宗教の神聖さを守るために憲法で「信教の自由」が既定されているのです。
 

 こうした考え方は、人類の長い歴史の中で培われてきたものであり、多くの国々で採用されています。
 

 そして、「信教の自由」がまずあって、その言論の自由を守るために、「言論の自由」や「表現の自由」が生まれてきたことを忘れてはなりません。
 

 ですから、もしも、「信教の自由」に制限を加えるよう主張するマスコミがあるとすれば、「言論の自由」や「表現の自由」の制限を主張しているようなものではないでしょうか。

 それは、マスコミ自らの存在否定にも繋がります。

 現代では、「言論の自由」や「表現の自由」を盾に、誹謗中傷の類や、一方的で偏見に満ちた記事を、ジャーナリズムと称して載せるマスコミが一部にあります。

 そうしたマスコミには、本来のジャーナリズムの精神に立ち返って、公正かつ事実に基づく記事を発信してほしいと思います。

※:8月29日付The Liberty Web https://the-liberty.com/article.php?item_id=14835

2018/08/23【英霊への配慮を尽くすことが大切】

 NHKスペシャル「届かなかった手紙 時をこえた郵便配達」という番組が放送されました。

 太平洋戦争中、連合国が戦場で戦利品として押収した日本兵の手紙を、番組が日本の関係者を探し出して届けるといった内容です。

 番組では、「配達先で見えてきた手紙に秘められた様々なドラマから、知られざる戦争の一断面を描き出す」としています。
 

 その番組の中で、南方で戦死したある日本兵の遺言とみられる手紙が紹介さました。

 内地に残された家族に宛てた言葉などが書かれており、戦後73年を経て届いた手紙に、親族の方々は感謝している様子でした。

 家族を残して戦場に散った兵士の無念の気持ちを思うと、遅きに失したとはいえ、手紙が家族に届いたことは、何らかの弔いになるかもしれません。
 

 ただ、その手紙には、自らが戦死したら柳行李に入った私物を開けずに焼却処分してほしい旨が記されていましたが、番組ではその私物の一部を放映していました。

 戦後、手紙は届かなかったわけですから、親族の手で柳行李が開けられていたとしても仕方のないことですが、手紙の内容を把握している番組が、遺品を放送していたことに少なからず違和感を覚えました。

 もちろん、番組の趣旨に賛同したご家族の了解を得た上での放送だと思いますが、番組制作側にはもう少し遺言を尊重する配慮があってもいい気がしました。

 先の大戦では、たいへん多くの方が亡くなりました。

 亡くなった兵士の方々は、本意でなかった方もいたとは思いますが、「靖国で会おう」と誓って戦場に散っていきした。

 実際に、霊的には、靖国に戻った英霊も数多いると言われています。

 

 にもかかわらず、政治的な理由から、靖国神社に代わる公的な追悼施設を建てるべきとの声が聴かれます。

 霊的な真実に配慮することなしに、こうした追悼施設を新たに建てることは、「靖国で会おう」と誓って戦場に散った英霊への配慮が足りないように思えます。

 ですから、真に慰霊をするのであれば、まずは霊の存在を認めることから始めるべきではないでしょうか。

 その上で、先の大戦で亡くなられた全ての御霊に対し、心から哀悼の意を捧げ、恒久的平和を祈念し、平和の実現に向けたゆまぬ努力を続けることを誓うべきであると考えます。

【参考】:8月15日付幸福実現党プレスリリース「終戦の日にあたって(党声明)」https://info.hr-party.jp/press-release/2018/6931/

2018/07/29【教育の規制緩和を考える】

 政府は、在外邦人の向けに教育を行う日本人学校の教員不足に対応するため、今年度から、新卒など正規教員として勤務経験のない若手を派遣する制度を始めています(※)。

 既に、一部の日本人学校では、教員免許を持たない現地の人を採用するなどしていますが、教育の質の低下など心配されていることから、こうした制度を導入しました。

 確かに、教員免許を持たない人材を登用することは、教育の水準を担保出来ない可能性があります。
 

 しかし、一部の専門分野では教員よりも質の高い教育を提供することができる人材もいる訳ですし、勤務経験が豊富な現地の人よりも、勤務経験が無いながらも近年の教育産業の進歩を経験した若手の方が教え方が優れている可能性もあります。

 ならば、教員を一律に教員免許取得者に限るのではなく、教員免許取得者と組み合わせることで、積極的に外部の人材を登用するという考え方もあります。

 こうしたことは、海外の日本人学校に限ったことではありません。

 日本国内の各学校でも、教員の業務負担が増えています。

 本来業務の生徒指導だけでなく、部活動の指導などがあるからです。

 そこで、民間など外部の人材を登用することで、教員が本来の生徒指導に専念できる環境を整えるべきであると考えます。

 また、教員として優秀な企業人や塾講師として採用する道も開くべきではないでしょうか。

 もちろん、教員免許制度を蔑ろにするという訳ではなく、教員を補完することで、高度な教育を提供することができるからです。

 大切なのは、教員の立場に立つのみならず、如何に子供本位の教育を提供できるかということであると考えます。

※:7月28日付読売新聞https://www.yomiuri.co.jp/national/20180728-OYT1T50045.html?from=ytop_ylist

2018/06/30【今も昔も自助努力が大切】

 政府の教育政策の柱の一つが高等教育の無償化です。

 海外では、既に全ての公教育を無償化にしている国もあり、家庭の経済力に左右されずに平等に教育を受けることができるとして評価する向きもあります。
 

 しかし、いくら無償化しても、教育そのものの水準を高めなければ、より高いレベルの教育を求めて塾や私学に通う人が出てきます。

 つまり、結局は家庭の経済力によって受けられる教育のレベルに違いが生じてしまうのが実態です。

 政府は、あたかも「塾にお金が掛かるだろうから、公教育は無償化にします」と言っているように見えなくもありません。
 

 では、教育にそこまでお金を賭けられない私たち国民は、今の世の中でどうすればいいのでしょうか。

 ここに一つのヒントがあります。
 

 
 文科省が昨年春の全国学力テストの結果を分析したところ、生活習慣が学力に影響する傾向にあることが分かったとのことです(※)。

 具体的には、日ごろから本や新聞を読んだり、規則正しい生活したりしている子供は、親の収入が高くなくても好成績の傾向があるとのことです。
 

 やはり、コツコツと努力することが報われるということだと思います。

 
 昨今では、ややもすると、まじめにコツコツと取り組むことは効率が悪いと思われがちですが、自助努力の大切さは今も昔も変わっていないことが分かります。
 

 私たちは、自助努力の大切さを胸に刻むと共に、政治は、無償化よりも塾で学力を補う必要のない質のよい公教育を目指すべきと考えます。

 このような公教育を作り上げることが、結局は、家庭の経済力に左右されずに高い水準の教育を受けられることに繋がるのではないでしょうか。

 ※:6月28日付日本経済新聞朝刊

2018/05/27【法治主義の名を借りて弾圧を行う国】

 中国で布教活動をしていたとされるキリスト教系団体に所属する複数の日本人が当局によって拘束された模様です。
 

 中国共産党は、体制転覆に繋がるとして宗教団体が力を持つことを極度に警戒しています。

 拘束された日本人が中国の体制転覆を意図していたとは思えませんが、中国では体制維持を目的に政府が国民の心の内面にまで干渉してきます。
 

 拘束された日本人が所属する宗教団体がどのような組織かは不明ですが、一般的にはキリスト教は世界中で広く受け入れられている宗教の1つであり、正しい宗教であれば、人々の心を豊かにし内面から救ってくれるものです。

 しかし、思想・信教の自由の無い今の中国では、人々はそうした内面から救ってくれる存在にたどり着くことさえできない状況なのです。

 このように世界の常識からすれば理不尽な中国ですが、中国政府の立場からすれば、法に則って対処しているのだそうです。

 法治主義は現代民主主義を形成する上で重要な考え方の1つですが、独裁国家は自らに都合のよい法律を作って、その法律に則る形で弾圧を行いかねないということを知らねばなりません。

 このように、法治主義と言っても万能ではないことが分かります。

 ですから、あらゆる法律の上位になる概念が必要であり、その概念のもとになるものこそが宗教的な思想であると考えます。

2018/04/01【塾のいらない公教育の実現がチャンスの平等に結びつく】

 生活保護を受給する世帯の子どもが大学に進学する際に、一時金を支給する生活保護法の改正案が審議入りしました。
 

 生活保護を受給する世帯は学費に充てる余裕が無いためこうした支援制度は喜ばれますし、リベラルな風潮のもとでは与野党を問わず生活保護の拡充を志向する傾向にあります。

 しかし、大学へ進学した後の生活を支援したとしても、いわゆる教育格差は無くなりません。

 学費に充てるお金が十分にある裕福な世帯と、そうでない世帯では、大学に進学する前から差があるのが現実だからです。
 

 現在の高校、特に公立高校の授業だけでは、難関校と言われる大学に入学することは困難です。

 一部、進学に特化した高校もありますが、大部分の生徒は受験テクニックを取得するために塾や家庭教師を利用しています。

 学校以外で掛かる学費は非常に高く、生活保護を受給する世帯が、塾や家庭教師を利用することは難しいのが現状です。
 

 かくして、学費に余裕がある世帯の子どもはより高いレベルの大学に合格でき、そうでない世帯の子どもはそれなりの大学にしか合格できないという傾向が生まれます。

 
 もちろん本人の才能や努力次第で結果は変わりますが、経済的な差が教育レベルの差に与える影響は無視できません。
 
 
 高校での勉強は受験が全てでは無いと思いますが、大学受験がその後の人生に小さくない影響を与えることは事実です。
 

 ですから、政治がなすべきは、経済的な支援だけではなく、公教育の質の向上です。

 塾のいらない公教育を目指すことが、チャンスの平等に結びつくのではないでしょうか。

2018/03/11【霊的人生観の大切さ】

 3月11日で東日本大震災から7年となりました。

 死者行方不明者数は1万8千人を超え、突然、大切な家族や肉親を失い今も心に深い傷を負っている人が大勢おられます。
 

 中には、最愛の人を失ったことをどうしても受け入れられない方や、あの日以来何もやる気が起きないという方も少なからずおられるという話しも聞きます。

 そうした一方で、その様な境遇にありながらも、前向きに進もうと何とか立ち上がった人もいます。

 この様な方々が前向きな気持ちになったきっかけは様々でしょうが、中には「真の霊的人生観」を知ることで立ち直るきっかけとなった人もおられます。

 「人間は、この世とあの世の間で転生輪廻を繰り返して無限の向上を目指して魂修行をしている存在である」という霊的人生観を受け入れることで、死んだら何もかも終わりという訳ではなく、「いつか故人と会うことができる」という希望を持って、残りの人生を全うしようと立ち上がれる、こうした考え方は非常に大切ではないでしょうか。

 確かに、価値観やものの見方は個人に帰する問題なので、特定の人生観を強制することはできないかもしれません。

 一方で、「人間には死後の世界があるんだ」という考え方を信じていたとしても、なかなか公言しにくい風潮があることも事実です。
 

 霊的人生観を知ることで人生の様々な苦難を乗り越えていける実用的な力ともなり得ます。

 大震災以降、霊的なものに対する関心が高まっていますから、霊的世界観をもっと受け入れられるような雰囲気を国民の中に醸成していく必要があるのではないでしょうか。

2018/02/08【価値判断の材料として最適】

 幸福の科学の大川隆法総裁は、政治関連でも様々な〝霊言”を降ろされ、その内容は幸福の科学出版から発刊されています。

 その内容は、現実の政治を行う上でも示唆に富むものであり、将来、起こるであろうことを具体的に予想するものもあります。

 実際、過去の霊言を振り返ってみれば、予想が的中した例が数多くあります。
 

 本格的宗教政党である幸福実現党が、こうした霊言を考慮して政策を立案することももちろんありますが、幸福実現党以外であっても、既成の政治家が霊言を参考にしたかのような政策を持ち出すことが多々あります。

 その意味で、〝霊言”は現実の政治をも動かしていると言えます。

  一方で、霊言を疑う向きがあることも承知しています。

 そもそも、霊など信じないという人もいれば、霊言の枝葉末節をつついて疑いの目を向ける人もいます。

 例えば、「外国人の霊が日本語で会話するはずがない」、「昔の霊が現代の単語を知るはずがない」、「その霊がそんな言い方をするはずがない」、などという声が聞こえてきます。

 しかし、霊を「思考するエネルギー体」と考えれば、霊言全体を通した内容は、正に霊人の生前の個性そのままであることが分かるはずです。

 思考するエネルギー体が大川総裁に入り、大川総裁の言語中枢を介して伝えられるため、大川総裁の膨大な語彙や経験が、霊人の考え方を伝える手段の一部として発せられることがあると理解すれば、そうした疑いは杞憂であると納得することができます。
 

 大川総裁の霊言を信じる・信じないは個人の自由かもしれませんが、これだけの数の霊言を前にすれば、むしろ創作や虚構と考えるには無理があります。

 ですから、霊言に素直に耳を傾けてみれば如何でしょうか。

 きっと現実の政治だけでなく、個人の生活にも大きな果実を生むはずです。

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