5月15日は沖縄が本土に復帰して47年目となった日です。
本土復帰後も米軍基地が多く残り、基地負担は減りつつあるとはいうものの、先の大戦で悲惨な地上戦を経験した沖縄として、基地負担を軽減するよう求める声も理解できない訳ではありません。
ただ、「平和のためには沖縄県に基地を含め一切の軍事的なものはいらない」という主張には疑問を感じます。
確かに、軍事力が一切無ければ、軍事衝突など起こり得ないかもしれません。
しかし、その土地を奪おうと企図する外国が存在した場合、抑止力が無ければ容易にその土地が奪われてしまうという現実を考慮する必要があります。
沖縄県の場合、例えば、中国軍の幹部や中国共産党の機関紙が、「沖縄はもともと中国のもの」という旨の主張をしていることから分かる通り、中国は「あわよくば沖縄を自らの勢力圏に治めたい」という意図を持っていると判断できます。
そうした中で、「米軍基地はいらない。自衛隊もいらない」ということになれば、国際法を無視した外国の行動を誘発する事態にもなりかねません。
そうなれば、自由は制限され、民主主義も無くなり、信仰も奪われてしまうばかりか、「沖縄を解放するため」と称して、別の軍隊が駐留することになるということが容易に想像できます。
そして、その軍隊の駐留は「沖縄県民が望んでいること」と喧伝され、それに反対する住民は、今度は容赦なく弾圧されることに繋がりかねないのではないでしょうか。
こうしたことは、ウイグルやチベット、内モンゴル、そして香港などを見れば、絵空事ではないことが分かります。
ですから、他国に悪事を犯させないためにも、米軍基地や自衛隊という抑止力は必要であると考えます。
逆説的に聞こえる人もいるかもしれませんが、それが平和に繋がることにもなるのではないでしょうか。