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2018/12/17【成年後見制度に見る信仰心の大切さ】

 「成年後見」という制度があります。

 ご高齢者に高額の商品を売りつけるなど、詐欺まがいの商法が問題となっていますが、認知症などの影響で判断能力が衰えた人に代わって、成年後見人が財産の管理や契約行為などを行う制度です。
 

 2000年に施行されたこの制度は、導入当初は成年後見人に配偶者や子供など親族がなるケースが多かったのですが、今度は、そうした成年後見人による財産の使い込みなどの不正が横行し問題となりました。

 

 そこで、成年後見人を監督する立場の家庭裁判所は、成年後見人として親族ではなく司法書士や弁護士などの専門職に委託することを勧めたり、財産の管理を信託銀行に任せる「成年後見支援信託」を利用するように進めたりしています。

 
 特に、一定以上の額の資産を有する人の成年後見制度の利用に対しては、裁判所がこうした専門職後見人や成年後見支援信託の利用を強く促しています。

 中には、親族が成年後見人なっている場合に、その親族に不正の事実が無くても、「不正を未然に防止するため」という理由で、裁判所が専門職後見人への変更や成年後見支援信託の利用を職権で決める場合もあると聞きます。
 

 しかし、専門職後見人や成年後見支援信託の利用は、家族として真面目に成年後見に取り組んでいる親族の場合であっても、被後見人本人や成年後見人にとって経済的なメリットが無い場合がほとんどです。

 例えば、専門職後見人への報酬は対象となる資産から拠出できるものの、月に数万円程度かかりますし、成年後見支援信託で信託銀行にお金を預けてもその金利は一般的な定期預金より低い場合がほとんどだからです。
 

 そうまでしなければならないほど、不正が横行していることなのかもしれませんが、制度の監督者が人間性悪説に立って半ば一律に利用を迫るやり方も違和感があります。
 

 様々な制度には不具合や不都合が生じやすいものですが、利用する人の心の善なるを信じなければ、いかなる制度も成り立ちません。

 
 今こそ日本人は信仰心の大切さを取り戻す必要があると実感します。

 その人の人間性は、他人が見ていないところでどう行動するかに現われますが、神仏への信仰心を持てば、他人が見ていないところでも、常に神仏が自分を見ていると考えて、善なる行動をするものだからです。

 
 ですから、信仰心を持つ人が増えていけば、人間性悪説に立った複雑な制度を導入しなくても済みます。

 これからも、信仰を精神的支柱とした社会を実現すべく、努力精進して参ります。