戦時中に亡くなった霊を慰める政府主催の拝礼式が千鳥ヶ淵戦没者墓苑で行われ、海外などで新たに見つかった身元の分からない遺骨が納められました。
先の大戦で亡くなった英霊の尊い犠牲のもと、今の平和な日本があるのであり、心からの感謝と哀悼の意を表したいと思います。
現代の日本では、霊や魂といったものの存在を信じる人は案外多いのですが、一方で「死んだら何もかも終わり」と考える人の割合も相変わらず多く、知識人と言われる人の中にもそうした考えを持った方が多くいます。
今回の拝礼式も、政府は宗教色を廃して臨んでいますが、そもそも慰霊とは霊や魂といったものの存在を前提に行うものです。
やはり、参列した方々の多くは、霊や魂といったものの存在を意識して、祈りを捧げているのではないでしょうか。
ですから、政府主催でこうした式典を行う以上、特定の宗教に偏る必要はありませんが、国として霊や魂の存在を認めることが必要です。
供養は亡くなった諸霊に対して、感謝とあの世での活躍を祈うものです。
遺された遺族への慰めだけに行っているものでもなく、形式的な風習でもありません。
よって、あの世も魂も信じない無神論の僧侶が供養しても、亡くなった霊に引導というあの世への導きを与えることもできず、迷える霊も救われることはありません。
慰霊や供養には、こうした宗教的前庭があるのです。
【参考】:大川隆法著『宗教立国の精神』幸福の科学出版http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=89