十年以上前に、ある難病と診断された知人がいます。
医師に天寿をまっとうできるか分からないと言われ、毎日が不安だったそうです。
そうした中、仏教の教えに出会い、恐怖心が薄れて心が軽くなったとのことです。
しかし、その方は、最近の学問としての仏教に不安を感じると話しておられました。
学問としての仏教とは、「仏教哲学などと言われ、仏教の開祖である釈迦が、在世当時、あの世や霊について語った様々な内容は、方便であり、あくまでもこの世での人間完成の道を説いたものだとする考え方」で、難病と診断された直後の不安な感じが蘇ってくると話しておられました。
確かに、宗教と言うものはあの世の存在が前提ですから、あの世を否定して、あるいは、あの世を学問的な考察の対象外としては、仏教が宗教でなくなってしまいます。
ですから、たとえこの世では不自由な境遇にあっても、あの世に帰ればまた別の局面が開けると思えばこそ、この世の境遇を受け入れつつ希望も持てるようになるのです。
哲学も宗教も、幸福を目指しているものではありますが、あの世の視点を見失ったならば、死後行き着く先は真逆になります。
「学問としての哲学」はこの世が全てと言う考え方の枠内にある一方で、本当の宗教が説くのは「この世とあの世を貫く幸福」です。
最近の哲学を含め、唯物論ならぬ唯脳論的な考え方は、唯物的な考えが蔓延した現代社会では受け入れられやすい考え方ではありますが、人生の意味を深く考えたならば、唯脳論では答えが出ないのではないでしょうか。