ベトナムで開催されているアジア太平洋経済協力会議(APEC)では、中国の存在感が増しています。
経済力を高める中国に、アジア各国は安全保障上の懸念を脇に置いてでも、中国にすり寄らざるを得ない状況のようです。
中国の進める一帯一路構想に対して、日本の安倍首相でさえも理解を示すようにまでなっています。
しかし、共産党の一党独裁国家である中国は、世界を牽引するにふさわしいリーダー国家なのでしょうか。
宗教的な観点から考えてみたいと思います。
共産主義は基本的には唯物論ですから、現在の中国には事実上、信教の自由がありません。
中国共産党が公認する宗教はありますが、あくまでもそれらの宗教の上に共産党が存在しています。
しかし、道徳の上位概念には神の善悪がありますから、神という存在なくして人間の道徳心が向上することはありません。
人間は、人間を超えた存在を信じることで崇高な気持ちを待つことができるのです。
ですから、論理的には、唯物論国家がリーダーとして君臨する世界は、信仰の自由が認められず、道徳心が薄れ、“力”が支配することにつながりかねません。
では、一見、力と力がぶつかり合っているように見える宗教間の対立は、どのように解決すべきでしょうか。
各宗教には、地域性、成立経緯、民族性や理解力の限界などが原因と考えられます。
憎しみ合っている人間同士が和解できるのは、人間を超える存在という立場があって、初めて実現できるのです。
更に諸宗派を超える“至高神”の存在が、相互の理解を深めます。
唯物論国家は力で対立を制しようとしますが、宗教間の違いを理解し、真なる融和と平和をもたらすのは、宗教的信条です。
宗教に対する正しい理解は、国際政治の舞台においても、様々な問題を解決するためのキーファクターだと考えます。