原発事故で自主避難している横浜市の中学生が、転校先の学校でいじめをうけ、問題となっています(※)。
この問題では、横浜市教育委員会が適切な対応を取らなかったのではないかとの指摘がある一方で、原発事故の影響の根深さも浮き彫りにして各方面で反響を呼んでいます。
原発事故の自主避難については様々な意見があることは事実ですが、とにかくはっきりとさせなければならないことは、どのような理由があろうと「いじめは悪い」ということです。
もっとはっきり言うとすれば「いじめは犯罪」という認識が必要です。
「いじめられている側にも問題がある」という認識では、いじめは解決できません。
いじめは、「いじめている側が悪い」のです。
最近、学校の現場の中では、いじめを無くすために命の大切さを学ぶ機会を設けていると聞きます。
そうした機会は全く無駄ではないと思いますが、「相手の命を奪う可能性があるからいじめはいけない」というだけではなく、いじめそのものが悪であるということを学ばなければ、いじめは無くなりません。
もし、命の大切さを学ぶのであれば、「魂と肉体」あるいは「創造主としての神」の存在など宗教的な観点から学ばなければ、命の大切さを本当に理解することはできません。
そもそも道徳上の価値基準は宗教的善悪に求めらることは世界の常識です。
今後、小中学校で道徳を教科に格上げすることは評価できますが、日本における宗教性を全く排除した今の道徳教育では、いじめ撲滅の根本解決にはなりえません。
※:11月16日付NHKニュースhttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20161116/k10010770951000.html?utm_int=news_contents_news-main_001