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2015/06/18【戦うことも辞さない気概】

 戦後70年を迎えるにあたり、先の大戦を振り返る番組や記事を目にする機会が多くなっています。
「戦争と悲惨で苦しいものである」、「だから二度と戦争を起こしてはならない」、「従って如何なる戦争的なものに反対すべき」という主旨のように思われます。

 私も、「二度と戦争を起こしてはならない」ということには同感です。
しかし、戦争反対の思いが極端な方向に行くと、「他国からの武力による威嚇」や「侵略」に対して、服従してしまうことになりはしないかと危惧します。

 「命あっての物種だから戦闘で死ぬよりはまし」、「今は平和なのだから、今まで通りにすれば平和が続くはず」との考えがあるのかもしれませんが、服従するということは、自由を無くすということであり、自立国家で無くなるということを意味します。

 侵略された国家が侵略した国家よりも幸福になることなど歴史上ほとんどありません。
近年の例では、中国に侵略されたチベットや東トルキスタンなどは、侵略された直後に大量の粛清がなされ、その後、如何なる民族的な自由は制限され、弾圧は現在も続いています。
また、北朝鮮労働党に支配されている地域の人々は、牢獄にいるも同然の状況です。

 私たちの国もこうしたことにならないという保証があるのでしょうか。
やはり、自主自立は守らなければなりません。そのために、戦争は反対であるけれども、悪意を持った侵略など、「いざという事態に対しては戦うことも辞さない」という気概を捨てるべきではないと考えます。

 こうした気概を持つことが最大の抑止力となりますし、同時に、安倍政権が進める安全保障法制のように法制度や、自衛隊のように実際の防衛力を整えておくことが抑止力の向上に繋がるのです。