太平洋戦争末期の激戦地であった小笠原諸島の硫黄島で慰霊祭が行われました(※)。
当時、硫黄島が陥落すれば、日本本土までの距離が短縮されB-29による本土爆撃が容易になるばかりか、米軍戦闘機によるB-29の護衛が可能となるため、日本軍の戦闘機による迎撃がより困難になる状況でした。
そのため、日本軍は硫黄島に栗林中将率いる精鋭部隊を配置しており、物量で勝る米軍との戦闘は苛烈なものとなりました。
太平洋戦争末期、各地の戦闘では、米軍の死傷者数が日本軍の死傷者数を上回ることはほとんどありませんでしたが、硫黄島の戦闘では、日本側の犠牲者が1万8千人、米国側の死傷者数は2万6千人と言われており、栗林中将の指揮の巧みさと、兵員の士気の高さがわかります。
左翼史観では、日本軍は如何に邪悪で無能であったかということを強調し、一般の兵員の犠牲は無駄死にであったという捉え方をします。
しかし、補給の望みがない絶海の孤島で、圧倒的な物量の米軍に対し、当時の日本の人々がどのような思いで戦ったのかよく考えてみる必要があるのではないでしょうか。
確かに、兵員それぞれに様々な思いがあったはずですが、日本の国や郷里に残る家族を守るために戦うという思いがあったということを忘れてはなりません。
結果的に硫黄島の日本軍は玉砕してしまいましたが、米軍による硫黄島の基地化を遅らせたばかりでなく、米軍による日本本土上陸作戦を躊躇させる要因になったことは間違いありません。
私たちは、日本を守るために亡くなった多くの英霊に感謝するとともに、日本人しての誇りを取り戻すために自虐的な左翼史観を払拭しなければなりません。
※:6月14日付産経新聞http://www.sankei.com/politics/news/150614/plt1506140016-n1.html
【参考】:大川隆法著『硫黄島 栗林忠道中将の霊言 日本人への伝言』幸福の科学出版http://info.hr-party.jp/hrp-books/2015/4292/