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2014/07/18【万一の場合に備えることも政治の責任】

 日本国憲法の前文に、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」との一文がります。

つまり、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、平和憲法と言われる現在の日本国憲法が成り立っているとも言えます。
 

 翻って、現在の日本の周辺国を見てみると、一党独裁体制のもとで言論の自由を封じ込め、侵略した地域で弾圧を続け、毎年、不透明に軍事力を急速に増強させている中国があります。

また、同じく党独裁体制のもとで自国民を囚人のごとく抑圧し、核実験や軍事演習で周辺国を威圧する北朝鮮があります。
 

 果たして日本は、こうした国々を100%信頼して外交を組み立てていいのでしょうか。

「日本が刺激さえしなければ、中国が軍事力を使って尖閣諸島を奪うことなどあり得ないし、ましてや沖縄を奪いに来ることなんて無いはずだ」とか、「北朝鮮が実際に日本に対して弾道ミサイルを撃ち込むことなどあり得ないし、ましてや核ミサイルを撃ち込むことなんてないはずだ」と言い切れるのでしょうか。

 例えば、彼らは政権崩壊の危機に際し、他国への武力行使で政権を維持できると判断すれば、国際社会の避難など無視して武力行使に踏み切る可能性は捨てきれません。

 その際、日本は、武力衝突で犠牲者がでるよりは、彼らに隷属したほうがましなのでしょうか。

 大川隆法総裁は7月14に行われた法話『集団的自衛権はなぜ必要なのか』(※)の中で、「(中国が日本を呑み込めば)個人個人の人権や、チャンスの平等が潰され、言論、出版の自由、信教の自由等が押し潰されていくことを意味するわけで、人間性を喪失させ、神仏の尊厳を捨て去ることにもなっていく」と指摘しています。

こうした事態は何としても避けるべきです。

ですから、万一の場合に備えることも政治の責任のはずです。

その意味で、今回の安倍首相の集団的自衛権行使容認の閣議決定は勇断と言えると考えます。

※:大川隆法著『「集団的自衛権」はなぜ必要なのか』幸福の科学出版