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2014/05/21【根本的な善悪の判断基準で集団的自衛権を考える】

集団的自衛権の行使容認や憲法9条の改正について、その必要性を認識する人は近年確実に増えていますが、世論全体としては不要であると考える人の方が多いのが現状です。

その背景の一つには、負戦後の左翼教育の影響もあり、集団的自衛権の行使容認や憲法9条の改正は戦争に繋がるとの考えから、「戦争」的なものはとにかく避けたいとの思いがあるということではないでしょうか。

政府は「憲法は自衛のための戦争をも否定している訳ではない」との見解ですが、侵略であろうが自衛であろうが、戦争はとにかく反対と考える人は多いようです。

もちろん、私も人の命を奪う戦争は行うべきではないと考えています。

しかし、悪意を持って日本を攻めようとする行為に対しては、銃を取らなければならない場合もあると考えます。

「例え外国が攻めてきて占領されたとしても、戦争するよりはまし」との考えがあるのかもしれませんが、戦争をしなくても、共産主義国家や独裁国家では、何千万人もの罪のない人々が粛清されてきたという歴史的事実があることを忘れてはなりません。

大川隆法総裁は、5月17日に行われた講演会で、「戦争は全て悪」という考え方に対して「善悪を判断する智慧がない」と喝破しています(※)。

「戦争は全て悪」という考え方の国ほど、攻め取ろうとする側からすれば好都合な国はありません。

戦後、宗教的なものはすべて排除するという考えのもとでは、根本的な善悪の判断がつきにくくなってしまいます。

ですが、善悪を判断する基準の根本は、神仏からきています。

それは、邪悪なものを押し留め、善なるものは押し進めるということです。

そうした根本的な善悪を判断する観点から、集団的自衛権の行使容認や憲法9条の改正を考えれば、その必要性があることが自ずとわかります。

※:大川隆法総裁 法話レポート「安倍政権 集団的自衛権容認へ『国民を護り、世界の平和に寄与すべきだ』」http://the-liberty.com/article.php?item_id=7844