いじめ防止対策推進法が昨年に施行されたことを受けて、東京都はいじめ防止条例を制定する方針です(※)。
条例では、全ての小中高校に「いじめ対策委員会」を設置することなどが盛り込まれる予定とのことです。
いじめ対策委員会がどの程度実効性を持つかは分かりませんが、いじめ防止に向けてひとまずは評価できる動きと言えそうです。
しかし、本当にいじめを防止するためには、いじめの定義をはっきりさせるべきです。
幸福実現党総裁でもある幸福の科学の大川隆法総裁は、2007年に提案した「いじめ処罰法」の中でいじめの定義として、「児童生徒が、他の児童生徒の暴力・その他の陰湿な行為により、肉体的あるいは精神的に深く傷ついたことを、保護者並びに教員に真剣に訴えた時には、『いじめ』が存在するものとみなす」を挙げています。
このようにいじめの定義を明確にしないと、いじめそのものが隠匿されてしまう懸念が残ってしまいます。
当然、教育者の側にも、善悪の基準をしっかりと持つことが求められます。
ですが、この善悪の基準が今の教育界では曖昧になっているように感じます。
それは、善悪の基準の源となっている宗教的な価値判断を、教育界から締め出した結果ではないでしょうか。
従って、少なくとも、世界宗教といわれる仏教、キリスト教、イスラム教の代表的な教えは、授業で紹介すべきだと考えます。
正しい宗教的なものの見方は、子供たちに真の道徳を育みます。現在の唯物論的なものの見方のみを教えることが、限界にきていることを悟らなければなりません。
※:3月5日付読売新聞http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20140305-OYT8T00867.htm