トルコ各地での反政府デモが続いています。
6月15日には、デモの中心となっているイスタンブールの公園で、警官隊がデモ参加者の強制排除に乗り出したと伝えられています(※)。
デモの発端は、政府による公園の再開発とのことですが、背景には強権的なエルドアン首相への反発があります。
トルコでは政教分離が定められていますが、エルドアン首相はこのところイスラム色を強めており、これが民主主義や自由の制限に繋がることを懸念する向きもあるようです。
確かに、イスラムの世界の一部は、現代社会とは相いれない非寛容的な部分があると指摘されていますが、必ずしも宗教的な価値感が全て民主主義と相反している訳ではありません。
歴史上、近代の政治が確立を目指してきた生命・自由・幸福の追求といった基本的人権は、良心・信教の自由を求める運動から出てきたものです。
そして、全ての人が生まれながらにして持つその基本的人権は、「人間は神の子である」という宗教的な価値観を前提としてこそ成り立つものです。
全ての人間は神の子であるからこそ尊いのであり、無神論や唯物論的な価値感からは人間の尊厳は生まれてきません。
そもそも、日本における政教分離の規定は、政治から宗教を隔離するためではなく、戦前戦中の国家神道が他の宗教を弾圧したことを教訓に、国家権力が宗教に介入してはならないという意味です。
宗教こそが人権の防波堤とも言えるものです。
従って、トルコの場合も、イスラム教の民主主義国として個人の自由を守る方向で国を導いていくべきではないでしょうか。
※:6月16日付産経新聞http://sankei.jp.msn.com/world/news/130616/mds13061609380004-n1.htm