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2012/01/02【政治家は2012年が繁栄の年であるイメージを描け】

謹賀新年

2011年は、東日本大震災など日本にとって忘れられない年となりましたが、政治の面から見たならば、国のトップが心に描いた国の形が実現した年ではないでしょうか。

菅前首相は「最小不幸社会」の実現という左翼的な思想を掲げ、「貧乏な国民に炊き出しをするのが政治の仕事」という市民運動家の発想が根本にあります。それが「年越し派遣村」のような仕事に表れ、ついには東日本大震災によって大規模に「実現」してしまいました。菅氏の行動を見れば、震災後はそれまでと打って変わって、水を得た魚のように行動的になったことでもわかりました。

野田首相も「心の絵」には、「泥中のどじょう」や「三丁目の夕日」の世界が展開され、「目立たず、貧しく、助け合う」ということが根本にあり、それが「世代間の助け合いとして、増税して社会保障をしよう」という発想に繋がっています。この心の絵が実現すると、社会保障費が高齢化とともに膨れ上がり、それを税金で穴埋めするという「重税国家」になってしまいます。

しかし、国のトップがこうした発想では、国民が豊かになれるはずはありません。事実、このような政府の誤った政策による成長期待の低下もあり、2011年末の株価は29年ぶりの安値を記録するなど、日本経済沈没の兆候が表れています。

更に、こうした動きに拍車をかけているメディアがあります。元日付の朝日新聞では、哲学者の梅原猛氏のインタビューを載せ、原発は「悪魔のエネルギー」であり、日本人は「過剰な消費生活は慎むべき」という考えを紹介しています。また、最近出版された五木寛之氏の『下山の思想』では、「日本は世界2位の経済大国という頂点に立ったのだから、後は下山すべきだ」と主張しています。

確かに、20年も経済が停滞していると、停滞や衰退が必然のものと考えたくなるのもわかります。しかし、衰退を肯定すれば、その衰退は一層急激になってしまいます。実際の経済の停滞の原因は、ビジョンの欠如であり、努力の不足です。福島での原発事故も、単に技術が未熟なだけと見ることもできるのであり、日本は、もう一段豊かな消費生活を実現すべきではないでしょうか。

怠惰や停滞を良とする考えの先には、緩やかな衰退しかありません。「もう頑張らなくてもよいのだ」という思想は、悪魔のささやきに聞こえます。人間がこの世に生まれてくるのは、なるべく楽をして快適な人生を築くためではなく、様々な苦難困難を乗り越えて魂を磨くためであると考えるべきであり、試練を乗り越えて成長していくところに、本当の幸福があると思います。

2012年も、日本の実力をきちんと評価し、繁栄する国家のイメージを描き、それを国民に訴え続けてまいります。