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2011/01/21 【〈農業自由化〉産業界と手を組み「黒船」を迎え撃て】

【〈農業自由化〉産業界と手を組み「黒船」を迎え撃て】Voice2011年2月号 高木勇樹(NPO法人日本プロ農業総合支援機構副理事長)より

 TPP参加の是非について、国内で冷静な議論が進まない理由の一つには、政局に対する思惑から、政治家の腰が定まらないことがあろう。

 しかし、TPP参加によって海外から安価な農産物が押し寄せ、日本の農業が壊滅するといった主張には、正直、大いなる違和感を抱かざるをえない。

 TPP参加、不参加にもかかわらず、すでに日本の農業は、負のスパイラルから脱しえない状況にある。象徴的な数字を挙げれば、ピーク時には約11兆円あった農業総生産額が、この20年間で3兆円強も減少。

 また、農業従事者の平均年齢は、いまや65.8歳。ここ10年間で確実に高齢化が進んでいる一方で、新たな担い手となる若年層は激減した。

 結局、現在の戸別所得補償制度(国際化に対応するものでないのであれば、“バラマキ”と批判されてもやむをえまい)のような「守り方」を続けているだけでは、日本の農業から「供給力」そのものが失われていく可能性もある。

 そして財政負担の限界から、最後は「守りきれない」という話になってしまいかねない。まず、この状況を客観的に直視すべきである。

 歴史に学べば、昨今の農業問題の原点は、1942年に定められた食糧管理法にある(95年に廃止)。

 たしかに、戦中、また戦後のある時期まで、国民の「生きる糧」であるコメの安定確保に、食糧管理法が果たした役割は大きい。

 しかし、政府がコメの需給や価格を完全にコントロールし、流通の規制を行なうという仕組みは、農家から「創意工夫」を実践する意欲を奪うものでもあった。

 もちろん、政府主導のコメの価格形成に市場原理を働かせようと、69年に自主流通米が導入され、90年には価格形成の場も発足した。

 農家のなかには、コメのブランド化や外食産業との提携、餅への加工などといった「経営ノウハウ」の蓄積に成功するところが出てきたのも事実である。

 とはいえ、いまだ水田農業全体の足腰を強くするまでには至っていない。それは、農地の集積が進んでいないからだ。いわゆる“農地法の壁”である。

 農地法は、大地主の解体を目的に断行された戦後の農地改革の成果の維持を理念として、52年に公布された法律だ。

 農地は耕作者自らが所有するという思想は「耕作者主義」と呼ばれ、農協のビジネスモデルを支える戦後農政の根幹となったが、2005年には耕作放棄地が約38万haにも及ぶなど、その理念の破綻が明白になった。

 そこで2009年末、農地法は大改正され、一定条件の下に一般企業やNPO法人にも農地の所有が認められた。20年以内とされてきた賃貸借の期間も、50年以内に拡大された。

 92年の「新政策」のころから、私が唱えていた「農地の所有と利用の分離」がようやく一部実行に移されたわけであるが、しかし現実には、農地の集積は遅々たるものである。

 その理由は、法律面にもあるが、主に運用面にある。農地の売買や転用の管理を担う農業委員会(市町村に置かれる行政委員会)がいまだ旧来の思想から、完全に抜け出せないでいるからだ。

 これでは“平成の農地改革”は進まない。当面の措置として、農地情報の開示を前提として、農業委員会のほか、土地取引に長けた不動産業界で構成される新しい運営母体を設立し、両者を競合させてみるのも手であろう。

 結論をいえば、相次ぐ省令や通達、解釈通達によって、ひと握りの官僚にしか理解できないような“訓詁学”と化した農地関連法制度の廃止に踏み込むべきなのである。

 そして、「農地の所有と利用の分離」の思想に立脚した、「農家」以外の者にも使い勝手のよい、わかりやすい新・農地法と経過法を制定すべきだ。