Archive for the ‘教育・思想’ Category

2018/04/01【塾のいらない公教育の実現がチャンスの平等に結びつく】

 生活保護を受給する世帯の子どもが大学に進学する際に、一時金を支給する生活保護法の改正案が審議入りしました。
 

 生活保護を受給する世帯は学費に充てる余裕が無いためこうした支援制度は喜ばれますし、リベラルな風潮のもとでは与野党を問わず生活保護の拡充を志向する傾向にあります。

 しかし、大学へ進学した後の生活を支援したとしても、いわゆる教育格差は無くなりません。

 学費に充てるお金が十分にある裕福な世帯と、そうでない世帯では、大学に進学する前から差があるのが現実だからです。
 

 現在の高校、特に公立高校の授業だけでは、難関校と言われる大学に入学することは困難です。

 一部、進学に特化した高校もありますが、大部分の生徒は受験テクニックを取得するために塾や家庭教師を利用しています。

 学校以外で掛かる学費は非常に高く、生活保護を受給する世帯が、塾や家庭教師を利用することは難しいのが現状です。
 

 かくして、学費に余裕がある世帯の子どもはより高いレベルの大学に合格でき、そうでない世帯の子どもはそれなりの大学にしか合格できないという傾向が生まれます。

 
 もちろん本人の才能や努力次第で結果は変わりますが、経済的な差が教育レベルの差に与える影響は無視できません。
 
 
 高校での勉強は受験が全てでは無いと思いますが、大学受験がその後の人生に小さくない影響を与えることは事実です。
 

 ですから、政治がなすべきは、経済的な支援だけではなく、公教育の質の向上です。

 塾のいらない公教育を目指すことが、チャンスの平等に結びつくのではないでしょうか。

2018/03/11【霊的人生観の大切さ】

 3月11日で東日本大震災から7年となりました。

 死者行方不明者数は1万8千人を超え、突然、大切な家族や肉親を失い今も心に深い傷を負っている人が大勢おられます。
 

 中には、最愛の人を失ったことをどうしても受け入れられない方や、あの日以来何もやる気が起きないという方も少なからずおられるという話しも聞きます。

 そうした一方で、その様な境遇にありながらも、前向きに進もうと何とか立ち上がった人もいます。

 この様な方々が前向きな気持ちになったきっかけは様々でしょうが、中には「真の霊的人生観」を知ることで立ち直るきっかけとなった人もおられます。

 「人間は、この世とあの世の間で転生輪廻を繰り返して無限の向上を目指して魂修行をしている存在である」という霊的人生観を受け入れることで、死んだら何もかも終わりという訳ではなく、「いつか故人と会うことができる」という希望を持って、残りの人生を全うしようと立ち上がれる、こうした考え方は非常に大切ではないでしょうか。

 確かに、価値観やものの見方は個人に帰する問題なので、特定の人生観を強制することはできないかもしれません。

 一方で、「人間には死後の世界があるんだ」という考え方を信じていたとしても、なかなか公言しにくい風潮があることも事実です。
 

 霊的人生観を知ることで人生の様々な苦難を乗り越えていける実用的な力ともなり得ます。

 大震災以降、霊的なものに対する関心が高まっていますから、霊的世界観をもっと受け入れられるような雰囲気を国民の中に醸成していく必要があるのではないでしょうか。

2018/02/08【価値判断の材料として最適】

 幸福の科学の大川隆法総裁は、政治関連でも様々な〝霊言”を降ろされ、その内容は幸福の科学出版から発刊されています。

 その内容は、現実の政治を行う上でも示唆に富むものであり、将来、起こるであろうことを具体的に予想するものもあります。

 実際、過去の霊言を振り返ってみれば、予想が的中した例が数多くあります。
 

 本格的宗教政党である幸福実現党が、こうした霊言を考慮して政策を立案することももちろんありますが、幸福実現党以外であっても、既成の政治家が霊言を参考にしたかのような政策を持ち出すことが多々あります。

 その意味で、〝霊言”は現実の政治をも動かしていると言えます。

  一方で、霊言を疑う向きがあることも承知しています。

 そもそも、霊など信じないという人もいれば、霊言の枝葉末節をつついて疑いの目を向ける人もいます。

 例えば、「外国人の霊が日本語で会話するはずがない」、「昔の霊が現代の単語を知るはずがない」、「その霊がそんな言い方をするはずがない」、などという声が聞こえてきます。

 しかし、霊を「思考するエネルギー体」と考えれば、霊言全体を通した内容は、正に霊人の生前の個性そのままであることが分かるはずです。

 思考するエネルギー体が大川総裁に入り、大川総裁の言語中枢を介して伝えられるため、大川総裁の膨大な語彙や経験が、霊人の考え方を伝える手段の一部として発せられることがあると理解すれば、そうした疑いは杞憂であると納得することができます。
 

 大川総裁の霊言を信じる・信じないは個人の自由かもしれませんが、これだけの数の霊言を前にすれば、むしろ創作や虚構と考えるには無理があります。

 ですから、霊言に素直に耳を傾けてみれば如何でしょうか。

 きっと現実の政治だけでなく、個人の生活にも大きな果実を生むはずです。

2018/02/04【首相の伊勢神宮参拝がなぜ批判されるのか】

 首相の伊勢神宮参拝が政教分離や信教の自由を害するとして抗議している団体の記事がありました(※)。

 その団体は、キリスト教徒や仏教徒、弁護士で構成されているとのことです。

 首相が特定の宗教施設を参拝することは、その宗教を優遇しているように捉えているものと思われます。

 特に神社への参拝は、戦前戦中の国家神道を想起させ、戦前に回帰する動きと考えているのかもしれません。

 確かに誤った教義に基づく宗教に政治が肩入れすることは、国家を亡国へ導く行為と言えます。

 しかし、神社仏閣への参拝は日本文化の一部とも言えますし、神道は長年に渡って人々の信仰の対象となっており、国民から一定の尊敬を集めていることも事実です。

 また、現代の日本が戦前に回帰し、国家神道の旗のもと他の宗教を弾圧することは考えにくい状況ですし、憲法の政教分離はまさにそれを防止することを目的に作られた条項です。

 従って、首相がそうした施設に参拝することは、神道に限らず宗教界全体にとっても一定の評価をすべきことではないでしょうか。

 むしろ、日本の首相が伊勢神宮に参拝が出来て、靖国神社に参拝出来ないことのほうを問うべきではないでしょうか。

 首相が、日本の政治的なリーダーである以上、国家のために殉じた多くの御霊が祀られている靖国神社で慰霊することこそ、首相が行うべきことだと考えます。

 もっとも、首相の伊勢神宮参拝への批判は、他の宗教に対するある種の偏狭さが現れていると言えるのではないでしょうか。

 ですから、日本神道をはじめ仏教やキリスト教などそれぞれの宗教には、認めるべき教えが含まれていますし、そうした教えは根源なるものから流れ出てきたものであるという認識も、今の世界には必要です。

 そうした認識を共有できる教えがあれば、世界の宗教対立は乗り越えられるはずです。

※:2月3日付朝日新聞https://www.asahi.com/articles/ASL1V66W6L1VULZU00N.html?iref=comtop_8_03

【参考】:大川隆法著『信仰の法』幸福の科学出版http://www.irhpress.co.jp/special/the-laws-of-faith/?utm_source=IRHweb&utm_medium=TOPbanner

2018/01/30【塾に行かなくてもいい学校教育を】

 ある地方自治体の調査で、ひとり親家庭など児童扶養手当を受けている世帯の39.5%が、経済的な理由で学習塾に通わせることができないと答えていることが分かりました(※)。

 同じ調査で、一般家庭で同様の回答をした割合が14.6%だったことを考えると、経済的に苦しい家庭ほど、有料の学習塾に行きたくても行けない実状が浮かんできます。

 これは、「子供の成績や将来のことを考えると学習塾に通わせたい」というニーズがあるということですが、別の視点から考えると、学校で教えているレベルが親や子供のニーズに適っていないという風にも考えられます。

 しかし、学校では、クラブ活動や様々な生活指導などがあり、学力の向上だけを目指すことは容易なことではありません。

 一方で、国は先の衆院選で高等教育の無償化に舵を切り、2兆円とも言われる財源を捻出しようとしています。

 学びたい意欲のある全ての子供に、無償で教育の機会を提供するということは殊勝な政策かもしれませんが、経済的な困難の中にある家庭に対する支援制度は既にありますから、全ての家庭を対象に一律に無償化することが最優先課題なのかという疑問が残ります。

 それだけの予算があれば、まずはクラブ活動に外部教員を導入するなどして、教員の過重労働を軽減すると共に、学校での教育の質を向上させ、塾に行かなくても進学などに必要な学力を身につけることができるよう改善すべきではないでしょうか。

 世界に目を向ければ、日本の引用論文数の低下や、国際特許の出願数の順位低下など、今後も日本が知的生産物で世界をリードしていけるのかどうかという危機感があります。

 まずは、足元から日本の教育の質を上げることが急務ではないでしょうか。

※:1月21日付NHKニュースhttp://www3.nhk.or.jp/lnews/niigata/20180121/1030001622.html

2018/01/17【学生の大学選択の自由を奪うことにならないか】

 政府によれば、大学の東京への一極集中が進み問題となっているとのことです。

 こうした状態に対し、政府は、東京の大学定員を10年間増やすことを禁止する新たな法案を検討していることが明らかになりました(※)。
 

 少子化が進み学生の数が減少する中、学生の大都市志向もあって、地方の大学の中には定員割れを起こすところも出ています。

 こうした流れに歯止めを掛けようと、政府は、東京の大学定員増の禁止と共に、地方の大学に対する交付金を創設することや、自治体に必要な施策を講じるよう求める法案を、今月から始まる国会に提出する見込みです。
 

 確かに、地方では人口減少が切実な問題となっており、地元の大学に学生が集まらなければ、地域は停滞し、次世代の働き手を確保することも困難となり、人口減少に拍車がかかることにもなります。
 

 ですから、地方を活性化する上でも、如何にして地元大学に学生を集めるかということは、大切な課題であり何らかの対策を講じる必要があります。
 

 しかし、東京に学生が集中するのは、裏を返せば地方の大学に魅力が無いからであり、法律によって学生の流れを強制的に止めるのは、本質的な解決策にならないのではないでしょうか。
 

 やはり、法律による規制を増やすのではなく、地方の大学の魅力を高めることで学生を集めることこそ本道ではないでしょうか。

 片田舎と言われるような地方でも、学生から人気の高い高等教育機関は存在しており、そうした大学などは他の大学に無い、独自のカリキュラムで人気を博しています。

 ならば政府の役割は、大学間の自由な競争を阻害するのではなく、各大学が切磋琢磨して教育の質を高めていけるよう、大学の自由性を重んじるように、これまでの規制を撤廃することではないでしょうか。

 ゆめゆめ、学生の大学選択の自由を奪ってはならないと考えます。

※:1月16日付共同通信https://this.kiji.is/325681400097604705?c=39546741839462401

2018/01/13【唯物論国家に真の道徳心はあるのか】

 中国国内にあるキリスト教の教会が、当局によって爆破後、解体されました(※)。

 大規模な建物を解体する際には、作業効率を上げるため爆破処理することはあります。

 しかし、この教会は当局の監視対象となっており、象徴的な意味合いを込めて爆破処理したものと見られています。

 宗教や宗派は違えども信仰心を持つ人から見れば、こうした中国当局の行為は、罰当たりに映るのではないでしょうか。

 中国政府は信教の自由を認めているとしていますが、中国政府そのものが共産主義という唯物論を奉じており、事実上、信教の自由は存在しません。

 また、中国は歴史上、太平天国の乱など宗教勢力を発端とした革命が幾度となく起きており、中国政府は宗教団体の活動を極度に警戒しているのが現状です。
 

 ですから、中国政府は見せしめとしてこうした野蛮な行為をしていると考えられているのです。

 歴史を振り返っても、信仰心の無い国家は、野蛮な行為を平気で行うようになります。

 その行き着く先として、スターリンによる大規模な粛清、ポル・ポトによる大量虐殺、そして中国の文化大革命があります。

 信仰心の無い国家、言い換えれば信教の自由を認めない国家には、本当の意味での道徳心も生まれてきません。

 なぜなら、人間以上の崇高な存在を認めるからこそ、人は謙虚になるからです。

 真の為政者は、神の前に謙虚であるからこそ、神の子である人間の尊厳を重んじのです。

 
 ここに、宗教を重んじるべき理由もあります。

※:1月11日付NHKニュースhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20180111/k10011285861000.html?utm_int=news-international_contents_list-items_030

2018/01/01【2018年は“信仰”の年】

 2018年は「信仰」がキーワードとなる年になると言われています。
 

 世界の多くの国々では、「信仰は尊いもの」と常識的に考えられていますが、日本では信仰はネガティブなイメージで捉えられる風潮があります。

 例えば、以前の世論調査でも、「宗教の違いが戦争や争いの原因になっている」と答える人が少なくありませんでした。

 確かに、中東でのキリスト教とイスラム教の争いを見てみると、宗教の違いが原因のようにも見えなくもありません。
 

 しかし、実際は「なぜ宗教に違いがあるのか」ということを正しく理解していないが故に起きている争いです。
 

 また、愛と平和を目指すキリスト教を信じる欧米諸国では戦争の頻度は高いのは確かですが、現代においてキリスト教国が戦争を行えるのは、政教分離の考え方が進んだことが一因です。

 隣人愛を説いているキリストの教えを脇に追いやって政を為すのですから、比較的容易に戦争に踏み切れるとも言えます。

 一方、紛争に関する報道が多いイスラム教国も、本来イスラム教は「寛容の教え」であり、「争いを戒める教え」なのですが、実態は、戦争が絶えないということは、アッラーの教えが正しく届いていない人がいるとも考えられます。
 

 では、無神論国家ならば平和をもたらすのでしょうか。

 実際には、北朝鮮や中国が圧政を強いれるのも、神仏の存在や人間神の子の思想を信じずに人権の尊重を軽視するような、唯物論思想で国を統治しているからでしょう。
 

 このように、宗教や信仰というものが、正しく理解されていないが故に混乱が生じています。

 従って、宗教や信仰が正しく理解されていれば、例え宗教が異なっていても、相互理解のもとに平和が訪れるはずです。
 

 幸福の科学は、キリスト教やイスラム教、中国の古代から流れている宗教的な思想、更には、日本神道のもっとも高位とされる神、こうしたものは実は一つの根源なる存在に帰するものであると説いています。

 その意味で、幸福の科学の教えは世界に平和をもたらす革命的な教えです。
 

 信仰心が無いと言われる日本国民も、お正月には多くの方が初詣に訪れます。

 神社仏閣でお参りすることは、広い意味で宗教的な行いですので、この機会に〝信仰を持つことの意味”というものを考えてみては如何でしょうか。

【参考】:大川隆法著『信仰の法』幸福の科学出版http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1952

2017/11/24【子育てが終わった後も続く教育負担】

 今国会では、来年に予定されている消費税の増税分の使途など、教育の無償化に向けての議論が活発化するものと思われます。
 

 海外では、大学を含む教育費が無料の国も在り、そうした国を羨ましく思う人も少なくないかもしれません。

 確かに、教育は国の礎であるため、国民が豊かさを享受できるように、教育の無償をすることは、一見殊勝な政策にも見えなくもありません。
そして、経済的な理由により、教育を受けたくても受けられないご家庭が数多くあることは、様々に報じられています。

 しかし、経済的に余裕の無い家庭に対する教育費の支援制度が、既に在ることは、あまり報道されていません。
ですから、本来教育費を払える家庭を含めて、一律に教育費を無償化にすることが、赤字が拡大し財政が逼迫している日本にとって、喫緊の課題であるとは言えません。

 むしろ、教育の質の向上よりも、格差解消の名目で無償化を優先させたら、どんなことが起きるのでしょうか?

 まず、経済的に支払い能力があるご家庭は、より質の高い教育を求めて、学校に加えて塾や予備校で学力を補うでしょう。
その結果、この様な手厚い社会保障制度が、益々格差を生むことになります。

 さらに、この社会保障制度を支える為に、更に税金が高くなります。
加えて、このように税率が高まる中で、政権与党が選挙対策として社会保障を厚くする公約を訴え、選挙に勝ち公約を実行する。

 このスパイラルの結果が、竹下内閣において100兆の負債を返すために3%の消費税導入をしたのに反して、現在は1000兆円超の負債を抱える結果となっています。
こうなるならば、もともと塾に行かなくても必要な学力を身につけられる学校をつくるなど、“努力する”のが理想ではないでしょうか。

 どのようなものであったとしても政府が無償にしてくれるのであれば、“ありがたい”と感じる方もおられるかもしれません。
しかし、無償化の財源が消費増税であれば、様々な消費の場面で家計に重くのしかかりますし、それは景気悪化という形で家庭の所得にも影響を与えます。

 しかも、その負担は子育てが終わった後も続くのです。

 教育の無償化に異論を唱えることは“タブー視”されがちですが、教育現場での様々な問題を踏まえれば、教育に関して率先してやらなければならないのは、教育の無償化ではなく、≪教育の質の向上≫であると考えます。

2017/11/11【唯物論国家が世界のリーダーになると・・・】

 ベトナムで開催されているアジア太平洋経済協力会議(APEC)では、中国の存在感が増しています。

 経済力を高める中国に、アジア各国は安全保障上の懸念を脇に置いてでも、中国にすり寄らざるを得ない状況のようです。
中国の進める一帯一路構想に対して、日本の安倍首相でさえも理解を示すようにまでなっています。

 しかし、共産党の一党独裁国家である中国は、世界を牽引するにふさわしいリーダー国家なのでしょうか。

 宗教的な観点から考えてみたいと思います。

 共産主義は基本的には唯物論ですから、現在の中国には事実上、信教の自由がありません。
中国共産党が公認する宗教はありますが、あくまでもそれらの宗教の上に共産党が存在しています。

 しかし、道徳の上位概念には神の善悪がありますから、神という存在なくして人間の道徳心が向上することはありません。
人間は、人間を超えた存在を信じることで崇高な気持ちを待つことができるのです。

 ですから、論理的には、唯物論国家がリーダーとして君臨する世界は、信仰の自由が認められず、道徳心が薄れ、“力”が支配することにつながりかねません。

 では、一見、力と力がぶつかり合っているように見える宗教間の対立は、どのように解決すべきでしょうか。
 

 各宗教には、地域性、成立経緯、民族性や理解力の限界などが原因と考えられます。
憎しみ合っている人間同士が和解できるのは、人間を超える存在という立場があって、初めて実現できるのです。
更に諸宗派を超える“至高神”の存在が、相互の理解を深めます。

 唯物論国家は力で対立を制しようとしますが、宗教間の違いを理解し、真なる融和と平和をもたらすのは、宗教的信条です。
宗教に対する正しい理解は、国際政治の舞台においても、様々な問題を解決するためのキーファクターだと考えます。

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