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2018/02/04【首相の伊勢神宮参拝がなぜ批判されるのか】

 首相の伊勢神宮参拝が政教分離や信教の自由を害するとして抗議している団体の記事がありました(※)。

 その団体は、キリスト教徒や仏教徒、弁護士で構成されているとのことです。

 首相が特定の宗教施設を参拝することは、その宗教を優遇しているように捉えているものと思われます。

 特に神社への参拝は、戦前戦中の国家神道を想起させ、戦前に回帰する動きと考えているのかもしれません。

 確かに誤った教義に基づく宗教に政治が肩入れすることは、国家を亡国へ導く行為と言えます。

 しかし、神社仏閣への参拝は日本文化の一部とも言えますし、神道は長年に渡って人々の信仰の対象となっており、国民から一定の尊敬を集めていることも事実です。

 また、現代の日本が戦前に回帰し、国家神道の旗のもと他の宗教を弾圧することは考えにくい状況ですし、憲法の政教分離はまさにそれを防止することを目的に作られた条項です。

 従って、首相がそうした施設に参拝することは、神道に限らず宗教界全体にとっても一定の評価をすべきことではないでしょうか。

 むしろ、日本の首相が伊勢神宮に参拝が出来て、靖国神社に参拝出来ないことのほうを問うべきではないでしょうか。

 首相が、日本の政治的なリーダーである以上、国家のために殉じた多くの御霊が祀られている靖国神社で慰霊することこそ、首相が行うべきことだと考えます。

 もっとも、首相の伊勢神宮参拝への批判は、他の宗教に対するある種の偏狭さが現れていると言えるのではないでしょうか。

 ですから、日本神道をはじめ仏教やキリスト教などそれぞれの宗教には、認めるべき教えが含まれていますし、そうした教えは根源なるものから流れ出てきたものであるという認識も、今の世界には必要です。

 そうした認識を共有できる教えがあれば、世界の宗教対立は乗り越えられるはずです。

※:2月3日付朝日新聞https://www.asahi.com/articles/ASL1V66W6L1VULZU00N.html?iref=comtop_8_03

【参考】:大川隆法著『信仰の法』幸福の科学出版http://www.irhpress.co.jp/special/the-laws-of-faith/?utm_source=IRHweb&utm_medium=TOPbanner