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2017/11/02【もしもサッチャー首相が日本の社会福祉政策を見たら】

 第4次安倍政権が発足したことを受けて、首相は記者会見し、待機児童の解消や、介護人材の処遇改善などに取り組む姿勢を示しました。

 確かに、子供を預かってくれる施設が見つからずに、休職を続けざるを得ない親御さんが未だにいることも事実ですし、介護人材が不足して求めるサービスを受けられない高齢者者なども多いと聞きます。

 保育所や介護施設の収容人数に制限があるのであれば、優先度の高い人からサービスを受けられるようにすることが理想ですが、優先度を誰もが納得する形で客観的かつ合理的に判断する基準を作ることは困難です。

 ですから、政府はサービスの利用を希望する人の全てが、サービスを利用できるように政策を進めています。
また、選挙のたびに各政党がこうした政策を打ち出しています。

 しかし、よくよく考えてみれば、子育ても介護も、そうしたサービスが無かった時代は、家族や親せき、それに地域の人が協力して解決していました。

 「社会のあり方が変わった」と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、家族や地域住民で解決していた問題に、膨大な予算を投入して国が“一律に面倒を見る”ということが、無条件に正しいことなのでしょうか。

 子育てや介護などの社会福祉を充実するという名目の政策を当然とする向きに対して、一石を投じることは許されない空気もあります。
しかし、「ゆりかごから墓場まで」という政策は、一見、優しいように見えて、実は停滞と堕落へと繋がる道です。

 また、一千兆円にまで膨らんだ国の借金も、こうした一律のバラマキ政策が一因です。

 もしもサッチャー元英国首相が今の日本政府の見ていたら、保守であるはずの自民党が、社会福祉に対して、“一律で無条件”な左翼・社会主義的な政策を進めることに危機感を覚え、かつての英国病の轍を踏まないようにと忠告をする気がしてなりません。