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2015/08/06【広島に住んだものとして、やはり憤りの極み-本当に原爆投下に正当性はあったのか】

 8月6日で、広島に原爆が落とされてから70年となります。
原爆で犠牲となられた方のご冥福を心よりお祈りするとともに、ご遺族の方、今なお後遺症に苦しむ方には心よりお見舞い申し上げます。
 

 私は、今から14年になりますが、広島市西区に転勤をしました。
それは、8月6日の原爆の日を迎える直前でした。
広島市は皆さまがご存じの通り、世界で初めて、「原子爆弾という大量虐殺兵器が投下された地」であり、「国際法上、非戦闘員への非人道的殺戮をされた場所」となった場所です。
しかして、奇跡の復活をした地でもあります。

 広島と長崎への原爆投下について投下した当事者である米国は未だにその正当性を主張していますし、原爆被害の悲惨さを訴える日本に対して中国は「大戦の加害者である日本が被害者の立場を強調している」などとして批判しています。
更に、日本国内でも、「戦前戦中の日本は悪い国であったから、原爆を落とされても仕方がなかった」との声が聞かれます。

 しかし、本当に原爆の投下は正当であり、日本は原爆を投下されて仕方のない国だったのでしょうか。

 あれだけ多くの非戦闘員の痛ましい原爆被害を踏まえれば、原爆の投下は人道的に見ても正当化することは困難ですし、二発目の原爆を長崎に落とす必然性にも疑問が残ります。

 また、先の大戦自体も、日本にとっては、安全保障上、やむを得ない側面がありましたし、アジアの植民地を欧米列強から解放するという大義もあったことは確かであり、日本が一方的に加害者であったということにも反論の余地があります。

 原爆投下が正当であったのであれば、今後も、理由があれば核保有国が非核保有国へ核攻撃をしてもよいことになります。
それは、中国や北朝鮮による日本に対する核攻撃の根拠を与えることにも繋がりかねません。

  私は、標題に記しました通り、【広島に住んだものとして、やはり憤りの極み-本当に原爆投下に正当性はあったのか】と、被爆から70年を機に、再度、原爆投下の意義を見直す必要があるのではないと考えますが、皆さまはいかがでしょうか。

【参考】大川隆法著『原爆投下は人類への罪か? 公開霊言 トルーマン&F・ルーズベルトの新証言』幸福の科学出版http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=969